世界一の歌!全米史上最高のチャリティーソング We Are The World の真実と裏話。

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  • 最終更新日:2018年12月21日
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世界一のチャリティーソングwe are the worldの秘密

世界一の歌、奇跡の一曲「We are the world」
この史上最高のチャリティーソングはアメリカ国内だけでなく、日本を含む世界中に奇跡を起こしました。

老若男女問わず、ほとんどの人がご存知かと思います。
マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティビー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ、ブルース・スプリングスティーン、シンディー・ローパーなどなど!一人一人が世界一の歌手であると言われてもおかしくないスーパースター集団が生み出した奇跡のチャリティーソング。

「人種」「性別」「年齢」「ジャンル」

あらゆる壁を飛び越えて集まったスーパースター達によって世に送り出された名曲には私達が知らなかった、今だからこそ明るみに出た真実があったのです。

We Are The World奇跡の10時間

世界一の歌 We are the world

世界一の歌のレコーディングは10時間にも及び、その様子はすべてメイキング映像として撮影された後ドキュメンタリー映像として公開されました。

しかし、その中で全く映像として残っていない時間帯があります。この空白の時間帯にこそ今まで世の中には明かされてこなかった真実が隠されていたのです。

NHKBS1で放送された「We Are The World 奇跡の10時間」の番組内で放送された、新たに真実を語ってくれた4人のインタビューと当時の現地の記事などを元にWe are the worldの隠された真実に迫ります。

世界一の歌『We are the world』とは?

世界一の歌 We are the worldとは?

推定総売上枚数 約2000万枚
寄付総額 約6300万ドル(当時の為替で約155億円)

レコーディング 1985.01.28.PM10時~1985.01.29.PM8時

アメリカのスーパースター総勢45人が集まって作り上げた史上最高!そして世界一のチャリティーソング!!奇跡の歌はたった一晩で作り上げられました。

しかし、集まったのは個性の塊で一癖も二癖もあるスターばかり!何も起こらないわけがありません。アーティスト同士の争いや参加アーティストの引きこもり事件。スーパースターの出演拒否やらスター号泣事件などなど。

兎にも角にもスタジオは波乱だらけでした!

世界一の歌誕生のきっかけ!アフリカで起こった悪夢

世界一の歌誕生のきっかけ!アフリカで起こった悪夢

それはレコーディングの3か月前の1984年10月23日に逆戻ります。イギリスのBBC放送がスクープ報道したエチオピアの大飢饉。

1年以上前から飢饉は続いていましたが、独裁者メンギスツ(1977~1991までエチオピアを事実上独裁)が政治介入を恐れて公表しなかったため事態は悪化し、結果的に700万もの人達がいつ死んでもおかしくない状況にあるという内容でした。

まさに悪夢・・・全世界に激震が走りました。
そして、ニューヨークにも衝撃を受けた人物がいたのです。

世界の為にアメリカのスターが立ち上がる

アメリカが誇るスーパースターハリー・べラフォンテ

1927年、アメリカ・ニューヨークのハーレムで生まれの22歳の時に歌手デビュー。1956年に「バナナ・ボート」が世界的な大ヒットとなります。その後もまだ黒人差別の激しかった時代に圧倒的な歌唱力でヒットアルバムを連発しました。

さらにキング牧師の公民権運動やネルソン・マンデラのアパルトヘイト撤廃運動にも貢献。音楽界では社会派としても有名で、後輩たちからも深い尊敬を集める歌手です。

ハリー・べラフォンテのエチオピアへの想い

「一握りの人間の強欲と私も含む大多数の人間の無関心があの事態をもたらした。」

飢饉のニュースを知って衝撃を受けたべラフォンテは、何かしなければならない、立ち上がらなければならないという衝動にかられ、今何が自分にできるのだろうと考えていた時に思いもよらぬニュースが飛び込んできました。

1984.12.3発売
「Do They Know It`s Christmas?」

飢饉で苦しむエチオピアの人々に寄付を送ろうという、イギリスの歌手ボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツ)の呼びかけに、スティング(ポリス)やフィル・コリンズ、デュラン・デュラン、ポール・ヤング、ボノ(U2)、ジョージ・マイケル、デヴィッド・ボウイ、ポール・マッカトニーなど、イギリスだけでなく当時、世界的に有名なアーティストが集結!

結果は300万枚を売り上げ!利益はすべてエチオピアに寄付されたのがWe are the worldの収録1か月前の事でした。

遂に歴史的名曲誕生のカウントダウンが始まる

「ボブ・ゲルドフにはやられたと思ったよ」

イギリスのアーティストたちによる行動でべラフォンテに火が付きます。
「Do They Know It`s Christmas?」には、アメリカのアーティストとして絶対に負けていられない!今、自分たちのできることを最大限発揮して、世界一のチャリティーソングを作る!!ベラフォンテに強い決意が生まれました。

インタビューで彼はこう語っています。

「こっちには何といってもマイケル・ジャクソンがいる」
「各ジャンルの世界一が揃っている」
べラフォンテが思い描く通りになれば、必ず世界一のチャリティーソングが作れる!いや、作らなければいけないんだ・・・と。

こうして世界最高峰へ向かう船は大海原に舵をとり始めます。

アメリカのスーパースター集結の奇跡と舞台裏!

アメリカのスーパースター集結

動き出したべラフォンテは、まず、参加アーティストを集めることに奔走します。

そして、べラフォンテの呼びかけで集まったのは総勢45名の全米で知らぬものがいない
超有名アーティストたち!そのCD売り上げ総数は10億枚以上!!

マイケル・ジャクソン
「僕の全身全霊をここに注ぎ込むと決めた」

シンディー・ローパー
「みんな~!重いお尻を上げて!飢饉を止めなくちゃ!音楽のジャンルなんて関係ないわ~」

ブルース・スプリングスティーン
「一晩、力を貸すだけでたくさんの人の飢えが止められるんだ」 「誰がNoと言う?」

くせ者45人との交渉

アメリカのスター達を集めることはできました。

しかし大きな問題が・・・

 

45人のアーティストは、所属エージェントも所属レコード会社も違います。チャリティーソングなのでこれだけのアーティストのスケジュールをノーギャラで出演させることを45の交渉相手に納得させなければいけません。

この問題を解決すべく、べラフォンテはある男にこの大仕事を任せることにしました。

影のプロデューサー「ケン・クラゲン」

彼は、We are the worldの参加者に、ライオネル・リッチーやキム・カーンズ、ケニー・ロジャースなどビジネスパートナーも参加していて、何よりもアメリカのショウビジネスで指折りの顔が広い男でした。

影のプロデューサーの秘策

「私の仕事は全員に今回は1銭も儲からないと納得させることだった。」

いつもは1ドルでも稼ぎたいスーパースター達に、1銭も儲からないと納得させるために、彼はメディアを動かします。アメリカで視聴率が高い時間帯のニュースにエチオピアの飢饉のニュースを繰り返し流すことよってアメリカ国内の世論を高めていきました。そうすることでレコード会社にNoと言えないとこまで追い込んでいったのです。

クラゲンはレコード会社に対してこう言い放ちます。
「この状況でも利益を上げたいですか?それとも困ってる人を助けたいですか?」

こうして、クラゲンは世論を動かす事で全てのレコード会社からチャリティーでの参加のokをもらえることに成功するのです!

世界一のチャリティーソングへ!べラフォンテのアイデア

「ただ歌うだけでなくレコーディングをすべてビデオに収めたいと伝えたんだ」

そう、べラフォンテはただレコーディングして音源を発売するだではなく、レコーディング現場で起こることすべてを映像として残そうと考えたのです。そして、あの有名なミュージックビデオが生まれました。

べラフォンテ言わく、アメリカは多様性の国であり、白人や黒人、女性も男性も、年寄りも若者もそういった、スター達を集めれば、それだけで世界の縮図になると考えていました。

映像で、肌の色の違い、政治的主張の違い、いろんな違いを持ってる人達がが一つの目標に向かって、全員が真剣に取り組んでいる姿を見せることで、世界中の人たちに向けてのアピールになると考えていたのです。

映像を通してあそこには自分たちの仲間がいると・・・・苦しんでいる人がパワーをもらえる。これこそが「We are the world」なのだと!!

メイキング映像の収録についてもクラゲンの功績でなんとかレコード会社から了承を得たべラフォンテ。舞台は整ったように思えたのですが・・・

まだ、一番大きな問題が残っていました。

世界一の歌を作るのは誰か・・・。

世界一の歌を作るのは誰

プロデューサーのクインシーはまず、ライオネル・リッチーに声をかけ、二人で話し合い、スティービー・ワンダーとマイケル・ジャクソンにも声をかけることにします。がしかし、スティービーはツアーの真っ最中!

マイケル・ジャクソンはアルバム「スリラー」の大ヒットもあって超多忙。

とてもじゃないがスケジュールを空けてもらうなど不可能かと思われていたそんな時にマイケルが・・・・

歌うだけではなく「曲作りにも参加させて欲しい」という話が飛び込んできました。

こうして作詞作曲はライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンという超豪華な二人に委ねられました。マイケルが曲作りに参加した事で、この曲の運命は大きく変わることになります

たとえ英語がわからなくても・・・

We are the worldではドラムを担当したマイケルが絶大な信頼をよせるミュージシャン「ジョン・ロビンソン」マイケルともデビューアルバムからずっと共演し、マイケルが書く曲には欠かせないドラマーです。

この曲のどこをマイケルが書いたかロビンソンは今も細かく記憶していました

「あの曲の盛り上がるとこは全部マイケルが書いたんだ」
「たとえばサビ、We are the world~♪」

マイケルは、この歌を自分達が歌って終わる歌にしたくない、地球上の誰もが歌ったり、口笛を吹いたりできる曲にしたいんだと、そんな歌を僕はいつかやりたかったんだとジョン・ロビンソンに話していたそうです。

ハリー・べラフォンテ
「たとえ英語がわからない人でもあのサビの部分は絶対に歌える」

クインシー・ジョーンズ
「偉大な曲は永遠に続くものだよ」「地球のどこを旅しても、最初の数小節をハミングしただけで、誰でもすぐにわかる曲だということは保障するよ」

 

間に合うのか?!迫る1985.1.28

プロデューサーのクィンシー、作詞・作曲のライオネルとマイケル、スティービーで、デモテープを作成することとなったのですが、全員超多忙なスーパースターばかり!

全員が集まってのセッションが行われたのはレコーディング直前の1985.01.21、ケニー・ロジャースが所有するスタジオにて行われました。翌日にマイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチーによるデモテープを完成させ、当時は音源をデータにしてメールなんてできる時代じゃありません、音源をカセットテープに録音し参加者に送るというギリギリの事態。

結局アーティスト達のほとんどはスタジオ入りするまで曲を聴けてなかったようです。

後日ライオネル・リッチーは言っています。「デジタル音源なんてなかった時代だからね。」「当時はカセットだった。送る必要があるんだよ。だからほとんどのアーティストは曲を聴いていなかったのさ」

また、ライオネル・リッチーは曲作りに関して、各国の国家を聞いて、インスピレーションを膨らませたと言っています。

世界一の歌が生まれた夜を迎える

世界一の歌が生まれた夜

We are the worldのレコーディングが行われたのはロサンゼルスのスタジオ「A&Mスタジオ」(当時の名称)

最高のメンバー・・・

最高の曲を揃えて・・・

迎えた本番

1985.1.28.22:00

唯一のチャンスはたった1日だけ

この日は、ロサンゼルスでアメリカ最大の音楽賞の一つ「アメリカン・ミュージック・アウォード」の授賞式が開かれる日でした。

We are the worldに参加するアーティストのほぼ全員がこのイベントに出演することになっていました。スケジュール的には絶好のチャンスであり、この日を逃すとこのメンバー全員を同じ日に集めるなんてことは不可能だったのです。

作詞・作曲に参加したマイケル・ジャクソンはアメリカン・ミュージック・アワードを欠席し、コーラスの目安に使うためのガイド・ボーカルの録画を行っていました。21時を過ぎると続々とアーティストが到着してきました。ライオネル・リッチーはアメリカン・ミュージック・アワードの司会、シンディ・ローパー、ティナ・ターナーは歌ったりと大忙しにも関わらす多くのアーティストがこの授賞式が終わると足早にスタジオに直行しました。

続々とスーパースター達がスタジオにー入りし、午後10時半マイケル・ジャクソンのスリラーも手掛けた有名音楽プロデューサーであるクインシー・ジョーンズの指揮のもと全員でのコーラスから収録が開始されました。

立ち位置はもめないよう、クィンシーが事前に決め、クインシーの提案でまず45人のアーティストが全員でユニゾンと、ハーモニーのパートを録音することになりました。

べラフォンテの想いが形になった瞬間

「ボブディランもマイケルジャクソンもブルース・スプリングスティーンも私から見ればみんなかわいい坊主たちさ」参加したアーティスト全員がべラフォンテをリスペクトして集まりました。べラフォンテはその日のことをうれしそうにこう言っています。

「あの日は人生最高の日だったよ」

マイケルの想いがスーパースターに届いた!

マイケルが世界の誰でも歌えるように書いたコーラスパート・・・

狙いは的中!アーティストとして一級品の彼らにはなんのことはなく、すぐに素晴らしいハーモニーが生まれました。

 

収録は順調に進み、メイキング映像にもその様子が克明にとらえられ、スター達の楽しそうな笑顔が映し出されています。

順調に見えたレコーディングだったが・・・

世界一の歌に暗雲

順調に進んでいたレコーディングの映像が、午前1時、突如メイキング映像がなくなり・・・1時間の空白・・・

この間、現場では大きな問題が起きていたのです。

消えたスター

全員が歌ってるはずのコーラスパートのメイキング映像をよく見てみると、参加したスターの一人が映像から消えてしまっています。

カントリー歌手「ウェイロン・ジェニングス」

最初はちゃんとコーラスパートに参加している映像がありますが、途中からなんといなくなっているのです。ジャケットの集合写真にも映っていません・・・。しかし、クレジットには表記されています。

大御所カントリー歌手に何が・・・

ケン・クラゲンが、その時のことを話してくれました。

発端はスティービー・ワンダーが、コーラスの最後にどうしてもスワヒリ語を入れたいと言い出したそうです。なぜかと言うとアフリカ、エチオピアに届ける歌なんだからという理由でした。しかし、スワヒリ語を話せる人もいません。スター達は議論し始めます。「どんな言葉だ?」「発音はどうする?」と熱い議論が繰り広げられる中、一人のスターが怒鳴なったのです。

それが、ウェイロン・ジェニングス

彼はその状況にあきれ果て「俺はカントリーの男だ!スワヒリ語なんて歌えないぜ!!」と言い放ち、なんとスタジオを出て行ってしまったのです。

その後どうなったのか映像には残っていないのでわかりません。現場にいた記者のメモを頼りに、何が起こっていたのか推測すると・・・

エチオピアでスワヒリ語を使うか確証もないのにスワヒリ語を入れるのはどうなんだ?
英語の歌なのにいきなり違う言語が入ると違和感が出るのでは?
という議論が行われた結果、スワヒリ語案は却下。
英語で全編やることになったようです。

記者のメモには
「Stevie is a bit bummed(スティービーは少しがっかり)」
「fatigue(まわりはげっそり)」
と書いてありました。なんとなく、嫌な予感が・・・

ジェニングスは怒って帰る、結局却下される案の議論でエネルギーを使い、現場の空気は最悪になっていたのです。

マイケル逃亡!

コーラスパートの収録が終わったのは午前2時を過ぎ、1時間以上レコーディングにロスが出ていました、残された時間はあと6時間ほど・・・

現場にいたクラゲンによると、大議論が行われ、熱くなったのはスター達の緊張のせいだと言っています。このプロジェクト自体の大きさやその意味を全員が理解しているからこそ、全員が緊張していたのだと。スターが多すぎて現場の空気がピリピリしていたと語っています。

その時、クラゲンが、スタジオのある異常に気付きます。マイケルがスタジオのどこにもいないのです。

クラゲンが、探し回ると、マイケルはトイレの個室で丸くなっていたそうです。大舞台を幾度となく、やり遂げてきたあのマイケル・ジャクソンでさえ、緊張感漂うピリピリした空気に耐えられなかったのです。

クラゲンはマイケルを見て、こう感じたそうです
「やばいな、みんなこの先レコーディングを続けられるかな・・・」と

最悪の空気を変えた大スターの粋な計らい

この時の状況は映像に残っていました。誰かが急に歌を歌いだしたのです。

レイ・チャールズです。しかも、歌っている曲は・・・

べラフォンテの大ヒット曲「バナナボート」!なぜか自然にみんなが歌いだします。すると、重い空気は一変!スター達に笑顔が戻りました。これにはプロデューサーのクィンシーも思わず笑顔に!

べラフォンテへの尊敬の想いが全員を一つにした瞬間です。

クラゲン「これで行ける!とほっとした。」
べラフォンテ自身にその時のことを振り返ってもらいました。

みんなのリスペクトを感じて、ほんとにうれしかった。個性の強いスター達が集まると多少のもめごとは当たり前、でも、何かきっかけさえあれば、すぐにひとつにまとまるものさ。

そのきっかけがこの時はレイ・チャールズの笑顔だったのかもしれませんね。

べラフォンテに次ぐ年長者のレイ・チャールズの粋な計らいにより窮地を乗り越えたスター達ですが、レコーディングのリミットである朝8時まで、6時間を切りました。

タイトなスケジュールの中、まだまだ問題は山積みでした。

ライオネル・リッチーが記憶喪失!?

このレコーディングがどれだけ過酷だったかはライオネルが残した言葉から垣間見る事ができます。

ただの睡眠不足のせいかもしれませんが、レコーディングは夜9時に始まり12時間続きまっした。しかしライオネル・リッチーは、あの晩のアメリカン・ミュージック・アワードのホストを務めたことや、ポップ/ロック・アーティスト賞など5つの賞を受賞したことの記憶がないと主張しているのです。

「あのドアから足を踏み入れた途端、そのことは忘れてしまったよ」と彼は言っています。「あの部屋にいた人々はそれはものすごかったんだ。ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル。勘弁してくれよって感じだよ。あんな経験は初めてだね」

We Are The Worldに隠された影

世界一の歌We Are The Worldに隠された影

午前2時過ぎ
今度はこの曲最大の盛り上がりを見せるソロパートのリハーサルです。

ソロパートはマイケルやボブ・ディランなどスターの中のスターだけが歌う事が決められており、誰がどこのソロパートを歌うかなども詳細に書かれた当時の楽譜が今でも残っています。

しかし!この楽譜に名前が書かれているにも関わらずたった一人、まだスタジオに姿を見せていない人物がいました。実はWe are the worldにはサビのコーラス部分以外にもう一か所マイケル・ジャクソンが手掛けた部分があります。

曲調が一気に盛り上がり、マイケルからの流れで歌うこの曲の一番の見せ場だったのですが・・・

マイケルの次に歌ったのはヒューイ・ルイス!実は彼は代役!!現場で急遽依頼されマイケルにレクチャーを受けるヒューイ・ルイスの映像が残っています。

楽譜を見ると本来この一番の見せ場パートを歌うアーティストの名前は

Prince/プリンス!!

生涯売り上げ1億枚以上の超スーパースター!独特の世界観でヒットを連発!!1980年代、同い年のマイケル・ジャクソンと並びうる唯一無二の存在です。

本当なら同い年のスーパースター、マイケル・ジャクソンとの夢の競演が実現するはずでした。マイケル・ジャクソンが、この最高のお膳立てしたにも関わらず、姿を現さなかったプリンス。

マスコミはいくらマイケルが嫌いでも欠席はいかがなものか?マイケルの横で歌うのがそんなに嫌なのか?とプリンスを非難しました。

ではいったいなぜプリンスはスタジオに現れなかったのか?・・・プリンスはその真実を語らないまま、2016.4.21この世を去りました。

しかし、その真相を誰よりも知る人物がいます!

シーラ・E(プリンスの元恋人)長年プリンスと恋仲だった彼女が今回初めてプリンスがスタジオに現れなかった理由を33年ぶりに初めて明かしてくれました

これまで語られることのなかったプリンスの真意とは一体!!

元恋人だけが知るプリンス欠席の真実

世界一の歌にプリンスが参加しなかったわけとは

打楽器奏者の家に生まれたシーラ・E、英才教育を受け10代でスター達のレコーディングメンバーやライブメンバーになるほどパーカッション奏者として売れっ子でした。しかし、当時彼女はソロのアーティストになる気はなかったのです。

そんな彼女の人生を変えたのが奇才・天才プリンス!

歌手としての才能を見出されたシーラ・Eは1984年プリンスのプロデュースでソロデビュー!デビューシングル「グラマラスライフ」はいきなりダンスチャートで1位を飾ります。

そのまま、プリンスの全米ツアーにも参加(1984.11~1985.4)二人は急速に恋仲になっていきます。

We are the world参加の声が2人にかかったのはそんな時でした。

シーラ・E大興奮!でも、それは嵐の前の静けさ?

We are the world収録の日はプリンスのツアーの真っ最中で、もしスタジオに行くことになれば3日間は寝られない状況になるスケジュールでした。シーラ本人は、身体的にはきついけど、集まってるスーパースター達はみんな大先輩だし、会ったこともない人ばかりだったので、ちゃんと挨拶したいなと思ったそうです。だから、いい機会だし、スタジオに行くことをOKしました。

参加を承諾したシーラ、しかし肝心のプリンスは・・・

「僕はいけないかもって伝えてある」と事前にシーラに伝えていたようです。プリンスは自分自身のツアー中でWe are the worldのレコーディングに参加してしまうと、ツアーの移動もあり、徹夜続きになるので自分のステージ中に倒れるかもしれない、そうすれば、お金を払って見に来てくれている、自分のファンに迷惑をかけてしまうというプロ意識から、必ずいけるという返事はしていなかったのです。

迎えたレコーディング当日(1984.1.28)シーラは一人でスタジオに向かいました。10代の頃から何人ものスターと共演してきたシーラですが、ただスタジオの中の光景には度肝を抜かれました。

マイケル・ジャクソンは実は会ったことがあるので大丈夫!スティビー・ワンダーも会ったことある、けど、レイ・チャールズ、ダイアナ・ロス、ブルース・スプリングスティーンらには会ったことがありませんでした。本人を目の前にして舞い上がるシーラ!レイ・チャールズを見て「うわっ!本物だー!」とか、ブルース・スプリングスティーンが彼女のことを知っていて、「君の曲大好きだ!マジでいい!」と言ってくれたりとかで、もう彼女は大興奮!!

歌手の大先輩たちに囲まれ夢のような時間を過ごしていたシーラ。しかしこの後、事態は思わぬ方向へと進んでいきます。

シーラ・Eに襲い掛かる現実

1985.1.28 午前2時30分。ソロパートに選ばれたスター中のスター20人ほどが練習を開始します。

しかし、シーラはまだデビューして間もない新人で実績もまだ十分とは言えません。ソロパートを歌うレベルではないのは明らかです。

そこに、クラゲンから思わぬ話が・・・

シーラに、まだ残っていて欲しい、ソロパートを歌ってもらうからという驚きの発言。一体どういうことなのか・・・

クラゲンがこの時の裏側をこう語ります。あの時は、まだ、シーラはソロパートを歌う器でなかったが、プリンスを呼ぶために彼女には残ってもらったと語りました。

シーラ・Eをプリンスを呼ぶ、最後の秘策として使おうとしてうたのです。クラゲンは、プリンスは「行けないかもしれない」でも「はっきりと行かないとは言ってない」と理由付けし、シーラを使えば来てくれるかもしれない!最終的にはそこにかけるしかないと考えていたのです。

彼はこのことについてこう話します。

「それが私の仕事だ」

シーラが呼ばれたのはプリンスを呼ぶための道具。

クラゲンは、マイケルとプリンスが同じマイクで歌うという当時は絶対ないだろうと思われていた、夢の競演というこの曲最大の話題になるものが欲しかったのです。

同じマイクで2人が歌えば、それは一つの奇跡になる!

同い年ながら一度も共演したことがなく、犬猿の仲?と噂されていた2人。そんな2人が世界一のチャリティーソングの為に初めて共演!!

しかも並んで歌うパートができれば話題性は抜群!クラゲン達は強い期待を込めて収録用の楽譜にプリンスの名前を入れ込んだが出演の確約はありません・・・

確約がないなら出ないとはっきりするまで交渉を続けよう、どんな手を使っても・・・
クラゲン達に利用されただけのシーラ・・・

プリンスがスタジオに現れなかった本当の理由

シーラの話では、ソロのパートを歌わせてあげるからプリンスにスタジオに来るように彼に電話してほしいとクラゲンに言われたそうです。

そして、彼女は言われるがまま、プリンスに電話を掛けます。当日、プリンスはツアーの疲れでヘトヘトにもかかわらず、最初は「行った方がいい感じかな?」と言っていたそうです。シーラも「来たほうがいいわよ」と。

でもプリンスにはクラゲン達の策略はお見通しでした。だからプリンスはシーラにこう言います。

「君がソロを歌ったら呼んでくれ。君が歌ってからだ。」

そうこうしているうちにソロパートの練習はどんどん進んでいきます。

しかし、シーラにはいっこうにお呼びがかかりません。この間、シーラがしていた事はひとつだけ・・・

プリンスへ鬼の如く電話。

でも、何度かけてもプリンスの答えは同じでした。「君がソロを歌ったら呼んでくれ」

シーラは午前3時過ぎに、クラゲンとクィンシーから最後にもう一度だけプリンスに電話を掛けてくれと頼まれます。仕方なく、プリンスに電話を掛けるシーラ。

しかし、答えは同じ・・・

「僕は君がソロを歌わない限りそこに行くことはない」

結局、シーラはソロパートを歌うことなくスタジオを後にします。その後シーラはホテルでプリンスと会った時のことを語っています。

シーラ・Eの本心

プリンスを呼ぶための道具にされたことに気付いたシーラ。普通なら怒って、泣いちゃうかもしれないですよね?でも彼女は違いました。

むしろ、プリンスに自慢したそうです。「私、あそこで今までに会ったことのないすごい人たちと会ったのよ!」「きっとあなたも会いたかった人ばかりよ!」

プリンスもシーラもプロフェッショナルな人間です。このプロジェクトが大成功すれば、どれだけ苦しんでいる人達を助けることができるか、ちゃんとわかっていたはずです。話題性があれば、その分寄付額にも影響してくることも。クラゲン達は自分のすべきこと自分の仕事をしただけだということも。

プリンスは自分の恋人をないがしろにされたことに怒っただけなのです。

翌日、プリンス欠席は大ニュースに!マスコミは『マイケルとの確執が原因だ』と書き立てました。

シーラはこのことについては、違うと言っています。「彼はいくつもりはあった、ただ、私を道具のように扱ったから怒っただけ」「ただそれだけよ」と。

それを裏付ける行動をプリンスはその後ににしています。

プリンス流のチャリティー

レコーディングから3か月後

1984.4.23

シングルとは別に発売されたアルバム盤「We are the world」ここに参加を求められた彼はオファーを快諾。とっておきの曲を提供しました。

それはプリンスが得意とするいつもの官能的なものとは全く違う曲でした。

「4 the tears in your eyes/あなたの涙のために」 by Prince

 

Long ago there was a man
かつてこんな男がいた
Change stone to bread with the touch of his hand
その手で触れれば石をパンに変え
Made the blind see and the dumb understand
盲目の物を見えるようにして話せぬ者を話せるようにする力の持ち主だった
He died for the tears in your eyes your eyes
彼はあなたの瞳の中の涙に命をささげた

シーラ・Eはこの曲を初めて聞いたとき泣いたと言っています。

プリンスは普段、スキャンダラスでエロチックな曲を書くのに、この曲に関しては、全然違う。プリンスは「We are the world」を歌いたくなかったのではない、困った人を助けたくなかったわけでもない。むしろ、助けるためなら、自分の最大限の力を使って最高の曲を仕上げて提供する人だと、シーラは力強く語っています。

確かに、レコーディングの後に、アルバム用にと曲を提供しているプリンス。もちろん、無償で!!

ケン・クラゲンもプリンスの楽曲提供が、このプロジェクトにどれだけ貢献したか、感謝の気持ちを語っています。

「プリンスの貢献は絶大だった彼の未発表の曲だ」
「普通にだせばNo1シングルになるのに我々のアルバムに提供してくれた」

結果的にWe are the wordのプロジェクトに大貢献したプリンス

ただ音楽ファンとしては心残りがひとつあります・・・

プリンスとマイケル・・・この二人の夢の競演が見られなかったこと

プリンスのマイケルへの想い

シーラがプリンスとマイケルのことについても語ってくれました。プリンスはずっとマイケルと共演したがっていたというのです。

マイケルが「BAD」をレコーディングしている時、プリンスのスタジオにに思わぬものが届きます。それは、マイケルの「BAD」そして「プリンスと一緒にやりたい」という申し出。

We are the worldの発売から2年後にマイケルが発表した「BAD」。プリンスが参加を断ったのはファンなら有名な話ですが実はその裏ではこんな隠れた真実があったのです。

マイケルから送られたきたテープを聞いて、プリンスは一から作り直してプリンスバージョンの「BAD」を作ったというのです。プリンスのボーカルもシーラのパーカッションも入れて。

がしかし、プリンスは思いもよらぬ行動をとります。

「それじゃー消すか!こんな失礼なことをやめて僕らの曲をやろう!」

なんと出来上がったプリンスバージョンの「BAD」の音源を消してしまったというのです!プリンスは「俺ならこうするな」ということを一度はやってみたものの、そのことがいかに「BAD」を作った本人に失礼なことかわかっていたのですね。

憶測になってしまいますが、プリンスはマイケルの才能を認めていたのだと思います。それはシーラが言う「プリンスはマイケルと共演したがっていた」という言葉から読み取れます。ちゃんと認めて、リスペクトしている。だから「こんな失礼なこと・・・」と言ったんだと思います。でも、「俺ならこうやるぜ」というアーティストとしてのプライドがあったのでしょう。

プリンスのマイケルへの想いがよくわかるエピソードをシーラは他にも明かしてくれました。

プリンスがマイケルのライブに?!!

プリンスとシーラは二人でよく、マイケルのコンサートに行っていたそうです。もちろんお忍びで!シーラの言葉を借りると、プリンスのマイケルへの想いは

「尊敬しているし、愛しているから共演したくてもできない。彼にとってマイケルはそんな存在なのよ」

尊敬して愛している、でも共演はできない・・・
プロとして世間にはライバル相手、どっちが勝つかという低レベルなことではなく、お互いがリスペクトし合い、認め合っているからこそ、相手よりもいい音楽を作り出したいというライバル心。

プリンスという衣装まとっている時は常に「俺はマイケルより偉大でありたい」という態度を世間に示さなければいけない。でもパーソナルなところではマイケルの大ファンであり、リスペクトしているという複雑な想いがあったのでしょう。

お互いが刺激し合い、切磋琢磨するからこそ、二人は常にトップのクオリティーの音楽を作り出せていたのかもしれません。

シーラもインタビューの最後にこう言っています。「でも、だからって消さなくてもいいのに!!(プリンスバージョンのBAD)」「天才って面倒ね・・・・(笑)」
プリンスは来ませんでしたが、ソロパートのレコーディングは続きます。

ソロパートレコーディング秘話

we are the worldソロパートレコーディング秘話

プリンスの一件はありましたが、スタジオではソロパートのレコーディングは相変わらずタイトなスケジュールで進行していきます。世界一の歌を、世界で最も大切にされ、愛される曲を生み出す為に、スタジオにいる全ての人達の闘いは続いていました。

この曲の影のヒーローはスタッフにいた!

ライオネル・リッチーは、後日、こう話してくれています。このセッションの影のヒーローはクィンシー・ジョーンズのボーカル・アレンジャーであるトム・バラーだと言っています。レコーディング前、トム・バラーは参加者全員のレコードを聴いてそれぞれの声域を把握し、それぞれにあったメロディ・フレーズを割り当てていたのです。

ケニー・ロジャースも同じようなことを語っています。「彼らが割り振ったパートはボーカリストたちによく合っていたよ」「最後にスティーヴ・ペリーがやったようなやつ、あれは僕にはできなかっただろうね。よく考えられた割り振りだったよ」

レイ・チャールズの存在感

ダリル・ホール&ジョン・オーツのジョン・オーツはレイ・チャールズのことをこう語っています。「レイ・チャールズは普段と変わらず、誰からも尊敬されていたよ。変に主張することもなく」「彼はただ真ん中に立っていて、自分のパートを歌っていたよ」

「ライオネルとマイケルとクインシーが指揮を執っていた。彼らの歌だから。そして誰もがお互いを尊重し、このプロジェクトを成功させるためにみんな頑張っていた」

「でも誰とは言わないがプロデューサーの様なひとがたまにやってきて『これをやってみたらどうだ?』『あれをやったらどうか?』と言ってアイディアを出そうとする人がいたんだよ。うまくやるには複雑なことをリスクを負ってまでやる必要はないし、コックさんが多すぎるとシチューは大参事になるものだ。レイはたまにあの声で『さあ、やろうぜ。マイケルの言う事を聞くんだ。こいつを完成させよう』って言ってくれてね」

「彼は歌うために来ていたし、横やりが入ると失敗しかねないと感じていたんだね。彼は大いに尊敬を集めいていた。あれは本当にカッコ良かったと思うよ」

あのボブ・ディランが緊張?

メイキング映像に目を疑うような映像があります。ボブ・ディランのソロ・フレーズ「There’s a choice we’re making」を説明するためにスティーヴィー・ワンダーがスタジオのピアノに座り、ボブ・ディランに向かってボブ・ディランの真似をしているのです。「ディランは僕とスティーヴィーの方を向いて、『僕にどうして欲しいんだい?』と言っていたよ」とライオネル・リッチーは後に語っています。「誰かをバカにするようなことはしないようにってみんな考えていたよ」。

レコーディング中にディランのすぐ後で歌っていたジョン・オーツは、ボブ・ディランがソロを歌うことに緊張していたことを覚えていました。「彼はメロディーの人じゃない。でも彼のソロは特にメロディーが特徴的だった。あのようなメロディーを歌うことは彼にとっては居心地が悪かったんだと思う。彼なりのやり方で頑張っていたんだよ」。

スターなのに??

ケニー・ロジャースは、このプロジェクトがいかに凄いことか、現場にいて強く感じていたようです。レコーディング後になんと参加アーティスト全員のサインをお願いして回っていたのです。ケニーが各アーティストにサインをお願いしてる時、ふと周りをみたら、なんとダイアナ・ロスも同じことし始め、結果ほとんんどのアーティストがみんなにサインをもらっていたそうです。

ケニー・ロジャースとジョン・オーツは二人とも「これは僕の最高の宝物さ」と言っています。

クインシー・ジョーンズはサイン入りの楽譜を書斎にかけてあり、「それを見ると知らないうちに笑ってるんだ。そしてそれぞれの名前を読み始めるんだよ」全員が参加したことへの満足感、チャリティーができたことへの達成感、何より、スパースター達が全員集まって、同じスタジオで同じ時間にひとつの目標を持ってやり遂げたことへの達成感が、どれほどインパクトがあったかが、伺い知れるような気がします。

 

ソロパートの収録も順調に進んでいましたが、ここでまた映像が抜け落ちているところがあります。

午前4時過ぎ。実はこのときあるゲストが登場しています。

アフリカで起こっている現実に直面するスター達、そして号泣

世界一のチャリティーソング

アフリカ出身の二人の女性。メイキング映像には彼女たちのスピーチを聞いたスター達が涙する姿が見られます。しかし、この午前4時の出来事。肝心のスピーチ部分がほとんど映っておらず、一体どんな話をしたのか謎のままでした。

 

NHKが女性2人のうちの一人にコンタクトに成功!インタビューさせてもらえることができました。

アフリカからの叫び

アフリカからのゲスト二人のうちの一人、クリッシー・キニャンジュイ。メイキング映像にはスティービーが彼女たちを紹介してる映像が残っています。

スティービー・ワンダー
「エチオピアからの言葉です」

キニャンジュイではない、アフリカからのゲストの女性「私の国を代表して皆さんに感謝します。本当にありがとうございます」。ビデオに残っているスピーチは短い感謝の言葉だけ。ゲストの二人は他に何を話したのか?そして何がスタジオで起きていたのか?

NHKは収録に立ち会った記者のメモにわずかに記された名前だけを手掛かりに彼女を探し出しました!

クリッシー・キニャンジュイ・・・現在66歳

アフリカからの言葉「クリッシー・キニャンジュイ」

NHKが、この時のことについて質問しようとすると逆に彼女から質問を受けます。

「日本で大きな津波があったときは日本のアーティストはチャリティーをやりましたか?」「やったの?やってないの?どちらですか?」

「あれほど大きな規模ではないですが・・・」(NHK)
「大きさはいいの、やったのね?」
「よかった、悲劇が起きた時に立ち上がれるかどうかが人の本当の価値だから」

We are the worldがどれだけ、アフリカを救う結果になったかをわかっているからこそなのでしょうか、胸に突き刺さる言葉です。

We are the worldのきっかけとなったエチオピアの大飢饉。このことについて話をするためにスティービー・ワンダーが彼女達を呼んだのですが、実はキニャンジュイ、エチオピア人ではありません。彼女は1982年にケニアから働くためにアメリカに来たのです。ケニアとエチオピアは言葉は違いますが、国境は接しているのでエチオピアからの亡命者も多く、情報は入ってきていたそうです。

スティビーはレコーディングの現場にアフリカの生の声、アフリカで今何が起きているのか、その話ができるアフリカ人をレコーディング前に探していたのです。そして、クリッシー・キニャンジュイと現在は消息不明のもう一人の女性、ゼムタ・アレマヨをスティビーが招待しました。キニャンジュイは、ゼムタ・アレマヨとスタジオに向かう車中で初めて出会います。スタジオに入ったキニャンジュイ達・・スター達の見せる表情に驚いたそうです。

「思っていたのとまったく違いました、最初はスターの気まぐれでしょ?なんて思っていたんです。でも、あのマイケル・ジャクソンも世界一のスターなのに必死の表情でした。」「みんな本気で考えていてくれてるんだなってわかりました。」

そして午前4時。2人はスター達の前に立ちます。

メイキング映像には映っていませんが、先にスピーチしたのはキニャンジュイでした。

今回、悲劇はエチオピアで起きたことですが、このことは他の国でも起こりうること。一人の独裁者が起こした悲劇ですが、それが起きていることは、わかっている人はたくさんいたこと。そして、知っていることを見て見ぬふりをしていたこと。そのために世界がこの悲劇を知った時には、あまりにも多くの人々が死んでしまっていたこと。

なぜ、ここの映像だけが存在していないかは謎ですが、映像から抜け落ちてたのはこの話の部分です。

キニャンジュイの話の後、ゼムタ・アレマヨの感謝の言葉から映像は始まります。

キニャンジュイは、自分達二人の話の後にスタジオで、泣いているスター達の姿を見て、ちゃんと自分達の気持ちが伝わったと確信したそうです。曲をリリースするだけではなく、今あの時、アフリカで起こった悲劇をちゃんと世界に伝えてくれるプロジェクトだと、彼らには絶対にそれができると!メイキング映像には涙が拭う、ライオネル・リッチやーアル・ジャロウの映像が残っています。

ケン・クラゲンは、アフリカからの二人のゲストのおかげで、スター達が誰のために歌うかが、はっきりした。そして、それがわかった時のアーティストほど強いものはない!!

このプロジェクトが大成功した決定的な原因は彼女たちのスピーチだと言っています。彼女たちのスピーチでスター達はまた強い絆となりひとつなっていきます。

ケン・クラゲン「スティービーが二人を連れてきたことに心から感謝したよ」

ベラフォンテが考える真のチャリティーソングとは?

We are the worldというみんなをハグするようなタイトルの歌だから、良かったんだ!They(彼ら)ではなくWe(私たち)だからこそ、みんなで一つのことに取り組もうと、他人事ではなく、自分たちでの問題として取り組むことが一番大事なんだと。

1985.1.08 PM8時、無事にレコーディングは終了します。いろんな壁を打ち破り、いろんなパワーをもらい、スーパースターが一つになって作り上げた史上最高のチャリティーソング。

世界一の歌「We are the world」

世界一の歌「We are the world」

作詞・作曲 マイケル・ジャクソン&ライオネル・リッチー

There comes a time
when we heed a certain call( Lionel Richie )
今こそあの声に耳を傾けるとき
When the world must come together as one( Lionel Richie with Stevie Wonder )
今こそ世界がひとつになるとき
There are people dying( Stevie Wonder )
人々が死んでゆく
And it’s time to lend a hand to life( Paul Simon )
命のために手を貸すときがきた
The greatest gift of all( Paul Simon with Kenny Rogers )
それはあらゆるものの中で最高の贈り物
We can’t go on pretending day by day( Kenny Rogers )
これ以上知らないふりはできない
That someone, somewhere will soon make a change( James Ingram )
誰かが、どこかで変化を起こさなければ
We are all a part of God’s great big family( Tina Turner )
僕らはみんな神の大きな家族の一員
And the truth, you know( Billy Joel )
本当さ
Love is all we need( Billy Joel with Tina Turner )
愛こそがすべての人に必要なもの

We are the world, we are the children
僕らは仲間、僕らは子供たち
We are the ones who make a brighter day
明るい明日を作るのは僕らの仕事
So let’s start giving( Michael Jackson )
さあ今こそ始めよう

There’s a choice we’re making
選ぶのは君だ
We’re saving our own lives
それは自らのいのちを救うこと
It’s true we’ll make a better day( Diana Ross )
本当さ、住みよい世界を作るのさ
Just you and me( Diana Ross&Michael Jackson )
君と僕で・・・
Send them your heart so they’ll know that someone cares( Dionne Warwick )
心が届けば支えになってあげられる
And their lives will be stronger and free( Dionne Warwick&Willie Nelson )
そうすれば彼らも力強さと自由を手に入れるだろう
As God has shown us by turning stones to bread( Willie Nelson )
神が石をパンに変えて示してくれたように
So we all must lend a helping hand( Al Jarreau )
僕らもみんなで救いの手をさしのべるべきなんだ

We are the world, we are the children( Bruce Springsteen )
僕らは仲間、僕らは子供ち
We are the ones who make a brighter day
明るい明日を作るのは僕らの仕事
So let’s start giving( Kenny Loggins )
さあ今こそ始めよう

There’s a choice we’re making
選ぶのは君だ
We’re saving our own lives(Steve Perry )
それは自らのいのちを救うこと
It’s true we’ll make a better day
本当さ、住みよい世界を作るのさ
Just you and me ( Daryl Hall )
君と僕で・・・

When you’ll down and out, there seems no hope at all( Michael Jackson )
見放されてしまったら、何の希望もない
But if you just believe there’s no way we can fall( Huey Lewis )
負けたりしないと信ずることが大切なんだ
Let us realize that a change can only come( Cyndi Lauper )
変化はきっと起こると確信しよう
When we stand together as one( Kim Carnes with Huey Lewis )
僕らがひとつになって一緒に立ちあがるとき

We are the world, we are the children
※僕らは仲間、僕らは子供たち
We are the ones who make a brighter day
明るい明日を作るのは僕らの仕事
So let’s start giving
さあ今こそ始めよう
There’s a choice we’re making
選ぶのは君だ
We’re saving our own lives
それは自らのいのちを救うこと
It’s true we’ll make a better day
本当さ、住みよい世界を作るのさ
Just you and me( All )
君と僕で・・・

 

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving( All )
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day
Just you and me( Bob Dylan )

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives( All )
It’s true we’ll make a better day.
Just you and me( Bob Dylan )
※くりかえし

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving( Ray Charles )
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day
Just you and me( Ray Charles )
※くりかえし

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving( Stevie Wonder&Bruce Springsteen )
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day.
Just you and me( Stevie Wonder )
※くりかえし

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving( Stevie Wonder&Bruce Springsteen )
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day
Just you and me( Bruce Springsteen )
※くりかえし

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day.
Just you and me( All )
※くりかえし

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving( James Ingram )
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day
Just you and me( Ray Charles )
※くりかえし

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let’s start giving
There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives
It’s true we’ll make a better day.
Just you and me( All )
※くりかえし

 

収録から2か月後の1985.3.28発売された「We are the world」

ヨーロッパからアフリカまで、世界各国でチャート1位を獲得

総額約155億円の収益すべてが寄付されました(日テレの24時間テレビがだいたい毎年2億ほど)これだけでも、いかに凄いプロジェクトだったのかわかりますよね。

キニャンジュイの今

あれから33年・・・

キニャンジュイは今はアメリカで使わなくなった子供服や靴を集めアフリカの子供たちに届けるボランティアを行っています。

「あの時の経験で誰かのために何かをすることが自分のためでもあるってことがよくわかったんです」

「今、アフリカはどんどん成長しています」

「いつか今度はアフリカから他の地域へ援助を届けられたらいいですね」

We are the worldがチャリティーソングとして今もなお頂点に君臨する理由

We are the worldがチャリティーソングとして今もなお頂点に君臨する理由

10時間のレコーディングで作り上げられた

奇跡の歌 We are the world

このあとたくさんのチャリティーソングが生まれましたが、これを超えるインパクトのあるものは現れていません。

We are the worldはもう超えることのできない高すぎる壁なのか・・・

それは違う・・という人がいます

このプロジェクトの生みの親ハリー・べラフォンテ

We are the worldの2年後、べラフォンテは1987年にはユニセフの親善大使に就任
危険な紛争地帯にも精力的に巡ってきた彼
そこまでチャリティーに突き動かされる理由は何か?と聞くと

意外な答えが返ってきました。

ハリー・べラフォンテが一番いいたいこととは

社会活動としていろんな国を訪れたべラフォンテ
彼はそれを「自分のため」と言います。

アーティストが戦争が起こっている現地に行けば人々が笑顔になってくれる、それは決して悪いことではないが、自己満足に過ぎない、戦争を止めることまではできない、でも、アーティストが個々ではなく、みんなが力を合わせることによって、ここを見て!と全員で叫び、スポットライトを浴びせることができれば、戦争だって止められるはずだと彼は語ってくれました。

「とにかく銃声の代わりに歌を聞かせろ」

 

アメリカでもヨーロッパでも日本でも音楽によるチャリティーはたくさんありました。ではなぜ、We are the worldを超えるほどのものは出てこないのか・・・

もちろん、年代や趣旨などが違えば、簡単に比較はできないと思います。しかし、発起人であるハリー・ベラフォンテ自身がどんなことをしても成功させなければいけないという強い心が、今回のインタビューから伝わってきた様に思います。彼の人柄、音楽への取り組み方、音楽以外の社会への貢献、アーティストは音楽で人を楽しませればいいということだけではなく、音楽には無限の力があり、その力が人の心を動かし、世界をも変えられるパワーがあることをハリー・べラフォンテは知っていたからかもしれません。

あの日レコーディングスタジオの入り口にこんな張り紙があったそうです。

「各自のエゴは入口で預けておく」

でも、必要ありませんでした。

これは、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの言葉です。
「全世界の最大のスターたち45人が一つの部屋に集まっていたんだ。はるか遠くで手助けを必要としている人々を助けるためにね」「あの夜のあの経験は二度と起こらないと思うよ。人類の進歩のために人々を結集させるという音楽の力を僕は信じている。このことについては、We Are the Worldという集まりは最高の実例かもしれないね」

今、マイケルやスティービー、プリンスやスプリングスティーンと並んでも十分才能のあるアーティストは何人もいます、でも、彼らが今、集まって何か曲を作ったり、チャリティーイベントをやったとしても、We are the worldは超えられるのか、私にはわかりません。べラフォンテのような「音楽は世界を変えられる」という強い信念を持った人が先頭を歩かないと、奇跡は起こらないのかもしれません。

私が、彼の言葉で一番、心に残ったのは・・・

「とにかく銃声の代わりに歌を聞かせろ」です。

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