「N響事件とは」小澤征爾とNHK交響楽団の確執

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  • 最終更新日:2018年03月15日
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小澤征爾 N響事件

NHK交響楽団は1964年に小澤征爾と「客演指揮者」との契約を交わします。
新たなる日本のクラシック界を作り上げようとこの若き指揮者を迎え入れ、最初はメシアンの「トゥーランガリア交響曲」の日本初演をするなど順調な船出となりました。

しかしNHK交響楽団の東南アジア演奏旅行中、両者の間に修復不可能な軋轢が生まれました。そしてこの演奏旅行から帰国後、NHK交響楽団の演奏委員会側から今後小澤征爾とは二度と演奏、録音はしないとの発表がなされたのです。

この事実を称して『N響事件』と呼ばれています。

「N響事件」が起こった理由

【原因その1】
当時の小澤征爾は遅刻魔で練習によく遅刻していて顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。

【原因その2】
練習中、間違った人に対して言葉を選ばず注意をしていた。
年配の楽団員からは「この若造が何をぬかしやがる」と良く思われていなかった。

【原因その3】
これが直接の原因となったのだが、東南アジア演奏旅行中の演奏で大きな指揮の振り間違いをした。

若き小澤征爾の行動や言動に苛立ちながらも我慢していた楽団員たちは【原因その3】によって恥をかかされた格好になり、ついに堪忍袋の緒が切れ「この若造の下では演奏はできない!」と絶縁状を突きつけた形となった。

アメリカで成功を収めた彼は後にこう語っている。「出る杭は打たれる」まだまだ若かった27歳当時の自分がどういう態度をとったらいいか分からず、全ての面で配慮が足らなかったことを認めている。

N響事件のその後

小澤征爾とNHK交響楽団の確執は容易には収束せず、演奏会自体をNHK交響楽団がボイコットする事態となる。誰もいないホールのステージに立って途方にくれている小澤征爾の新聞写真を見たが、その写真はことの重大さをようやく理解した小澤の今後の不安さが滲み出ていた。

演出家の浅利慶太、三島由紀夫らが自体を収拾させようといろいろNHK側と話し合ったが、結局上手くはいかなかった。
自体が収拾しないまま時間だけが過ぎ、その後浅利慶太、三島由紀夫、石原慎太郎、井上靖、大江健三郎らが中心となって「小澤征爾の音楽を聴く会」が日本フィルの演奏の元行われた。この演奏会が大反響を呼び、やはり小澤の才能は素晴らしいとの認識を皆が共有する。

この演奏会が良いきっかけとなり音楽評論家の吉田秀和らの仲介の元、N響との間でとりあえずの和解が成立した。
しかし小澤征爾がNHK交響楽団を指揮するまでに32年という歳月を必要とした。

その後、彼はもう日本では指揮をしないつもりでアメリカに渡り、我々が知るような大指揮者となった。

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