世界一ギャラの高い指揮者カルロス・クライバー!!驚愕のギャラとは!?

  • 投稿日:
  • 最終更新日:2018年03月28日
  • kojiii
世界一ギャラの高い指揮者

自分の好きな指揮者のエピソードを知れるのはとても楽しい事です。特に皆が知らないようなマル秘エピソードだと余計に嬉しいものです。

さてそこでカルロス・クライバー(父も偉大な指揮者だったのでここでは区別するためあえてカルロスを付けるようにします)ですが、彼が最後に行ったウィーン国立歌劇場とのオペラのギャラがいくらだったかをご存知でしょうか?

こういうお金に関することはあまり表に出てきませんが、特に指揮者に関するギャラは闇の中、プロモート会社の秘中の秘でもあります。

でも面白いことに、ある関係者にカルロス・クライバーがこのときのギャラの話をうかつにも話してしまったのです。
この記事ではカルロス・クライバーの経歴や生い立ち、そして彼の衝撃的なギャラまで紹介していきたいと思います!

カルロス・クライバーとは

カルロス・クライバー

1930年ベルリン生まれ。父は20世紀を代表する指揮者エーリッヒ・クライバーです。ナチスから逃れるため一家はアルゼンチンに亡命します。その地で音楽を学びますが、父エーリッヒの勧めもありスイスの工科大学に進みました。

しかしカルロスは音楽の道を諦めきれず「カール・ケラー」という芸名を使って指揮者としてデビューします。芸名を使ったのは父エーリッヒに知られないためと、親の七光りと言われたくなかった事も大きな理由です。

父エーリッヒは後に指揮者になることを許し、いろいろ配慮してくれることもありましたが、基本的に賛成していたわけではなく、カルロスの指揮に対しての批評や批判はかなり厳しいものがあったようです。偉大なる父とその息子というのは我々にはわからない深い溝ができやすいのでしょうか?

指揮者としてデビューしたカルロスはいくつかの歌劇場を経験したあと、1968年バイエルン国立歌劇場の指揮者となり、ここで世界に認められられるようになります。1973年にはバイロイト音楽祭にも招かれ、そこでも絶賛を博し世界的名声をより高めました。

ベルリン・フィルやウィーン・フィルとも共演しています。そこで奏でる音楽だけでなく、その流麗なる指揮振りに対しても毎回賞賛される事になります。

しかし歳を重ねるにつれ演奏会の数は次第に減っていきます。更に公演のキャンセルも多くなり、晩年はその演奏自体に接する機会が年数回しかない事態となりました。

録音に関しても自分が気に入った曲のな中でなおかつ十分に勉強したものだけしかレコード会社とは契約しませんでした。

自分の好むものだけをじっくり検討して客に聴かせる、このスタンスだけはずっと変えませんでした。だから演奏する曲はほんの一握りだけ。本当にレパートリーの少ない指揮者でした。

キャンセル魔 カルロス・クライバー

世界一ギャラの高い指揮者カルロス・クライバー

カルロス・クライバーが世界的指揮者として認められ始められた頃から、キャンセルが多い指揮者というネガティブな評価も付きまとい始めました。

彼の練習風景を映したビデオが出ていますが、彼の要求がオーケストラに上手く伝わらず、しばしば怒ってしまう場面があります。演奏する曲に対して一つも妥協を許せない彼が演奏者に対してなぜこんなことができないのか怒っているのと、それを上手い言葉で表現できない自分に対してイライラしている感じがよく伝わってきます。そんな時はほとんどの場合で練習場から出て行き、その後の練習だけでなくコンサート自体もキャンセルしてしまうのです。

カルロス・クライバーがうつ病だったという人も多くいます。だから人と上手く接することができず、たわいないことでよくキャンセルしてしまうのだと。

その事実はよく分かりませんが、彼が滅多にコンサートを行わなくなってからは、コンサート予定が発表されただけで世間を騒がせました。客たちはどうぞキャンセルしませんようにと祈りながらこぞって彼のチケットを手に入れコンサートの日を待つのです。そしてコンサート当日は運のよかった人たちだけが演奏を聴くことができるのです。

こんなことが続くようになって、カルロス・クライバーを聴くことは誰よりも難しくなり、彼のコンサートチケットはプラチナチケットになっていきました。

日本が大好きだったカルロス・クライバー

富士山

オペラとコンサートだけで来日したのは5回ありますが、彼は仕事とは関係なくお忍びでも何回も来日しています。

東京はもちろん箱根、京都、九州、沖縄などを訪れています。和食や日本酒を好み、特に箱根の温泉がお気に入りだったようです。

インタビュー嫌いな彼でしたから本心は分かりかねますが、こんな極東の果ての国に時間をかけてきてくれるのですから、やっぱり彼は日本が大好きな人だったと思います。来日回数といい、お忍び旅行といい、あんなにキャンセル魔の彼が何回も訪れているのですから(なんか日本人として嬉しい)。

カルロス・クライバーの来日公演は世界一のギャラだった

世界一ギャラの高い指揮者

1994年9月から10月にウィーン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団が来日しました。このうちカルロス・クライバーは後半の10月7日から10月20日までリヒャルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」の6公演のみ演奏しました。

このときの彼はとても機嫌がよく何をするのも上機嫌で接していたようです。その様子を見て、ある関係者がなんでそんなに上機嫌なのかを尋ねたそうです。

ここでこの文章のトップに書いたカルロス・クライバーの言葉につながります。

この公演のギャラについてとても嬉しそうに話したそうです。
じつにその額、約10億円!!本当に笑いながら、ありえないでしょう、みたいな顔をしながら楽しそうに話したそうです。

キャンセルの多い指揮者をいかにして日本まで連れてくるかの決定打はお金だったようです。親日家であった理由がギャラが良かったからからとは思いたくないですが、誰でも高額な金額には心乱されるのでしょうか。

それにしても10億円のギャラとは前代未聞です。こんな価格を提示しこれでも儲けが出ると判断した日本のプロモーターも凄いですし、カルロス・クライバー側もよくその契約を受けたものです。
キャンセル時には物凄い違約金が発生する契約だったのでしょうから。この話を聞いてその公演のS席のチケットが6万5千円だったのもうなずけます。

あの「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンでさえワンステージは一千万円単位だったそうですし、今のアメリカの五大オーケストラの音楽監督のギャラは年収2億円程度だそうです。それを考えるとカルロス・クライバーのあのときのギャラは超破格でした。

バブル後の今となってはこの記録を抜くことはよほどのことがない限りないでしょう。

関連記事

”音楽”の記事一覧(10件)

新着記事(5件)