レイ・クロック!史上最強のビジネスマンが築いたマクドナルド誕生物語!!

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  • 最終更新日:2018年03月01日
  • yasu
マクドナルドを作った男レイクロック

2017年に公開され、大きな反響を呼んだマクドナルド誕生の物語を映画化した「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」をご覧になった人も多いかと思います。

世界的に有名なマクドナルドチェーン生みの親『レイクロック』はひとことで言ってものスゴイ男でした。
成功のためなら手段を選ばない、とても傲慢で利益を追求して止まない男!!

まるで現在のアメリカ大統領ドナルド・トランプ氏のようですね。
レイクロックは人間そのものをよく知っていて、継続と信念の人でもありました。

レイクロックとはどんな人物なのか!現在のマクドナルド創業者とされていますが、実際はどうなのか?さまざまなことに興味が湧いてきますよね。

今回はレイクロックに焦点を当てて、その人物像やどのようにして成功を掴み、アメリカンドリームを成し遂げていったのかを見ていきたいと思います。

どうぞお付き合い下さい!!

史上最強のビジネスマンと呼ばれる男レイ・クロック

レイクロック

1902年10月5日、チェコ系ユダヤ人の両親のもとイリノイ州シカゴに生まれました。

第一次世界大戦終了後、ピアノ奏者や紙コップのセールスマン、シェイクミキサーのセールスマンとして働きますが、 どちらかと言うとうだつの上がらない冴えないセールスマンでした。

1954年シェイクミキサーのセールスマン時代、1台売るのにもたいへんな苦労をしていましたが、ある日8台もの注文が入ったのです。

注文をしてきたハンバーガーショップへ行ってみると、そこは後にレイが「史上最強のビジネスマン」と呼ばれる由来となった、スコットランド系アメリカ人モーリス・マック・マクドナルドとリチャード・ディック・マクドナルド兄弟がオープンした、マクドナルド・ハンバーガーでした!!

遅咲きの野心家レイにチャンス到来!

1940年マクドナルド兄弟はマクドナルド・ハンバーガーをアメリカ・カリフォルニア州サンバーナーディノでスタートさせます。

マクドナルド・ハンバーガーは徹底的に無駄を省き効率化を図り、味もサービスも高いクオリティのこだわりを持つ、当時としては画期的なお店でした。

ハンバーガー(15セント)ポテト(10セント)ミルクシェイク(20セント)の3点に商品を絞り、クオリティの高さと素早いサービス提供を誇っていました。

マクドナルド・ハンバーガーのクオリティとサービスの素晴らしさを実感したレイは、マクドナルド兄弟にフランチャイズ化を提案します。

この案にマクドナルド兄弟は消極的でした。
なぜならクオリティにこだわりを持つ兄弟は、店舗が拡大することでマクドナルド・ハンバーガーのクオリティが落ちることを懸念していたのです。

しかしレイの熱意と強引とも思える説得に、ともにフランチャイズ成功のために協力し合うことの契約を交わし、レイは野望の第一歩を踏み出しました。

まず最初にイリノイ州デスプレーンズにお店をオープンすると、あっという間に全米展開に成功し、わずか3年で計1億個のハンバーガーを売り上げます。

今までのうだつが上がらず、冴えないレイとは別人のような活躍ですよね。
このチャンスは絶対に逃さない!!そんなレイの気持ちが伝わってくるようです。

このままでは儲からない!マクドナルド兄弟への不満と怒り!!

この時レイクロックは、マクドナルドのフランチャイズの元締めのような立場でした。いわゆる仲介ビジネスですね。

仲介ビジネスではマクドナルド兄弟が開発したノウハウを出店者に提供し、その見返りに売り上げから一定の割合をマクドナルド兄弟に支払い、そして最後に残った僅かなお金がレイの取り分でした。

このやり方ではわずかな額しかレイの手元には残らず、自宅のローンにも苦しめられながら、いつもフランチャイズの資金繰りに頭を悩ませ、困り果てます。

マクドナルド兄弟に「最初の契約を見直して欲しい」と何度頼んでみてもまったく聞く耳すら持ってもらえません。

レイは大きな不満を持つとともに、マクドナルド兄弟への怒りを感じるようになっていきました。

なぜか?と考えてみると、レイとマクドナルド兄弟ではビジネスに対する考え方がそもそも相容れない間柄なのです。
事業を拡大したいレイと堅実に事業を行っていきたいマクドナルド兄弟、衝突はすぐそこまで来ていました。

もともとマクドナルド兄弟が始めたハンバーガーショップですが、全米展開するほど拡げたのはオレなんだ!!そんな自負が、人によっては逆恨みのようにも取れる感情をレイに与えたのでしょうか。

レイがピンチに!!マクドナルドとは不動産業なのだ

レイは店舗数を伸ばす拡大路線をとっていました。

9つの州に13店舗まで拡げましたが、レイの自宅を担保に入れても足りないほどの資金難に陥ります。そして担保不足から銀行の融資を断られてしまいます。
レイクロックは最大のピンチに陥いりました!

そんな時まさに幸運を運ぶ男性と出会うことになります。
しょんぼりと銀行から出てきたレイに、「店そのものが君の資産なんだ!!」と男性は言ったのです。

その男性こそレイクロックの成功を躍進させる立役者ハリー・ソナボーンでした!彼は金融のプロであり、会計士でした。そしてマクドナルドの不動産としての価値に注目する事となります。

土地を購入する資金を銀行に融資してもらえば、担保はその土地をあてがえばよい。
このアイデアの画期的なポイントは、その土地にレイ自身がマクドナルドを建設し、フランチャイズ店にリースすれば良いというところにあります。

開業資金を貯めるのには時間がかかるのに、このやり方ならば良い場所があれば時間のロスもなく、銀行が資金を用意してくれて次々とお店を開店することができ、銀行へのローンは貸し付けたリースの返済費用からまかなえば、レイ自身の懐は痛みません。

まさに幸運としか言いようがない出会い。
もしもハリーと出会っていなかったらレイは・・・

事業は好転!だが自分の思い通りに出来ない苦悩!!

レイクロックはその手腕を見込んでハリー・ソナボーンを自分のスタッフにします。それから事業は好転し始めます。

フランチャイズオーナーの儲けを優先するあまり、売上の内たった1.4%しか収益がなかったレイに、「賃料」という新しい収益をハリーはもたらしたのです。

レイクロックは自分が手がけたイリノイ州デスプレーンズの店を「マクドナルド一号店」としました。

そんな中、店のアイスクリームを冷凍するための電気代の多さにレイは悩んでいました。その時にジョアンという女性と知り合います。

ジョアンは水の中に粉末を入れるだけでシェイクが作れる、手軽な「インスタミックス」を導入しては?とレイにアドバイスしますが、何をするにもマクドナルド兄弟に相談し、許可を得なければならない契約があったため、「インスタミックス」も当然ながら許されませんでした。

マクドナルド兄弟は次第にレイの存在を脅威に感じ始めます。

レイの行動力と実行力を怖れたのです。

レイクロックとマクドナルド兄弟との全面対決は、すぐそこまで来ていますね。いったいどうなるのでしょうか!

手段を選ばないレイとマクドナルド兄弟の対立

マクドナルド兄弟の考え方は、いいアイデアを持ち一生懸命働いて、やがて成功するという、ごく当たり前のものでした。

しかしながらレイクロックはマクドナルド兄弟と結んだ契約に縛られて、やりたいことができない苛立ちを隠せなくなります。

とうとうレイは無断で「フランチャイズ・リアリティ」という会社を立ち上げて自分流の経営を始め、マクドナルドの創業者をも名乗り始めるのです!!

兄弟の制止も聞かずマクドナルドのチェーン店を自分の考えでグングンと増やしていきます。当然ながらマクドナルド兄弟はこれに激怒し、両者の対立は決定的なものになっていきました。

1961年マクドナルド兄弟が270万ドルのロイヤリティを要求すると、レイは激怒しました。「マクドナルド兄弟はオレを失敗させようとしている!!」そう強く感じるようになったのです。

マクドナルド兄弟へ宣戦布告!!

いよいよレイは野心と傲慢と思えるほどの態度を隠さなくなっていきました。

レイクロックは語ります。

「彼らのガッツが大嫌いなんだ!!」「マクドナルド兄弟は鈍感で、プロジェクトに注ぐ1セントにだって無関心だ!!」

レイのマクドナルド兄弟への怒りは相当なものですね。
「あいつらを許さない!!」そんな感情さえ持っていたのでしょうか。

新たな不動産会社を立ち上げ「この会社は君たちの権限の外だ!!」そう叫ぶレイクロックがいました。

マクドナルドハンバーガーに復讐を果たすレイクロック!

1961年にレイクロックはマクドナルド兄弟から全ての店舗を買い取ったものの、契約には原点であるカリフォルニア店は含まれていなかったのです!このマクドナルド兄弟の主張にレイは激怒します。

とうとうレイは、わずか1ブロックしか離れていない距離にマクドナルドをオープンし、兄弟の「マクドナルド・ハンバーガー」を潰しにかかったのです!

兄弟の店は店名を「ビッグM」に変更することを余儀なくされました。
その僅か6年後、ビッグMは廃業に追い込まれました。

そして会社の利益、1%をマクドナルド兄弟に払い続けるという約束でしたが、書面でしっかりとした契約を結ばず、握手をして契約したかのように思わせたのです!

もちろん実際に支払われることはありませんでした。
レイクロックは競合店を出してマクドナルド兄弟の店を潰す事で、彼らへの怒りと復讐を果たしたのです!

レイの不動産ビジネスがすべてを変えた

レイクロック

ハリーの進言により不動産ビジネスへ進出したことがきっかけとなって、レイクロックはついにマクドナルド兄弟との力関係を逆転させることに成功します。

なぜならハンバーガーの販売では常に兄弟との契約に縛られ、自分の思い通りのことは何ひとつ出来なかったレイが、店舗を増やすも減らすも彼の自由となったのです!

決着の時。果たしてレイクロックは勝者なのか?!

マクドナルド兄弟との対決は決着がつきました。

1961年レイはマクドナルド兄弟からハンバーガービジネスを270万ドルで買収します。
50%もの所得税にうんざりしていた兄弟は、もう店を売って慎ましい生活を送ることに決めました。

「30年間、来る日も来る日も働いてきた」と語るマクドナルド兄弟に対して、レイは「それは、胸にじんとくるものだった。ただ、哀れみの涙がこみあげることはなかった」そうクールに語ったといいます。

人によっては「略奪」と見る人もいるかも知れません。

レイの物語は美しいサクセスストーリーではないのです。

クレバーかつ、「えげつないやり方」を貫いて、ビジネスの世界をのし上がっていった、ひとりの男の「アメリカン・ドリーム」なのだと思います。

マクドナルド兄弟一家は繁栄の恩恵を受け取れない?!

マクドナルド一家はマックの利益をもらえない

レイは1955年にマクドナルド・ハンバーガー直営1号店をシカゴにオープンさせ、その後7年で年間3780万ドルを売り上げる企業へと成長させました。

マクドナルド兄弟には売上の0.5%が寝ていても入って来ていたのです。
しかし兄弟は、「歩合では先行きが不安だから」と、商標やマクドナルドシステムの使用権を現金270万ドルで買い取れ!!とレイに迫りました。

つまりマクドナルドを「はした金」で売り渡したのです。

この年に兄弟には19万ドルというフィーも支払われていました。
今から60年近くも前のことなので少なく見積もっても、5000万円から7000万円くらいは受け取っていたはずです。

270万ドルと聞くとずいぶんと高額に感じますが、「少なくとも毎年19万ドル以上はもらえる」という、権利収入と天秤にかければ、この数字は決して大きな金額とは言えないと思います。

マクドナルド兄弟の要求に従って12人の出資者をかき集めて用意した270万ドルで、兄弟の持つすべての権利を買い取った1961年から7年後に、レイに替わってCEOになったターナーは、毎年店舗数を増やしていき事業を拡大していきます。

1971年7月、日本マクドナルド1号店をオープンし、世界進出も果たしていきました。
しかしマクドナルド兄弟と、その子孫たちは今日のマクドナルド繁栄の恩恵を、何一つ受け取ることが出来ないでいるのです。

マクドナルド繁栄の恩恵を受け取ることが出来ないことや、レイによってマクドナルドを「略奪」された意識があるのでしょうか、兄弟亡き今も、マクドナルド一家はレイクロックへの恨みの感情に苦しめられていると伝えられます。

マクドナルド兄弟には経営者の資質がなかった!?

マクドナルド兄弟

マクドナルド兄弟がレイから受け取った270万ドルは「資産」ではありません。
なぜなら「新しいお金を生まない」からです。

兄弟が元々持っていた「商標」「マクドナルドシステム」これら2つこそが「資産」だったのです。
結果論ではありますが「目先の現金・270万ドル」に替えるべきではなかった!
目先の1万円よりも毎月入る1,000円、こちらを重視するべきでした!

「資産を築くための投資」その発想を持っていたのがレイクロックだったのです。
レイはハリーと出会ったことで、「資産」という発想を得ることが出来ました。この発想があるかないかで、あまりにも大きくその後の人生に影響を及ぼしました。

レイに影響をうけたカリスマ経営者たち

uniqlo柳井正

日本では「ユニクロ」でお馴染みの、『ファースト・リテイリング』会長兼社長の柳井正氏、「ソフトバンクグループ」会長兼社長の孫正義氏がレイ・クロックに大きな影響を受けているようです。

二人ともレイクロックの自伝「成功はゴミ箱の中に」を自分のバイブルとまで評しているくらいです。

柳井氏はユニクロ創業前に、レイの言葉にとても影響され、手帳に書き写していました。 「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをする」レイの名言とされる言葉のひとつです。

おわりに

なぜレイはマクドナルドでやろうとしたのか?

皆が疑問に思いますよね。
マクドナルド兄弟の手法をパクッて自分でやってもよさそうなものを、なぜマクドナルドにこだわり続けたのか?

レイクロックはこう語ります「マクドナルドっていう響きがいいんだ、これぞアメリカっていう響きだ」

レイは1984年81歳で亡くなるまで、1955年から1968年までマクドナルド社長、1968年から1977年まで会長、1977年から1984年まで上級会長を務め、生涯で5億ドルの富を築きました。

我々にとっても実に示唆に富むレイの物語と思います。ビジネスだけでなく人生に至るまで。 レイクロックの人生そのものが「史上最強のビジネスマン」と呼ばれるいわれなのかも知れませんね。

最後にレイの名言中の名言をご紹介いたしましょう。

「自己を未熟ととらえることができれば、いくつになってもみずみずしさを失わず、成長を続けていくことができる。このような姿勢で向かえる限り、人生に打ちのめされることはない」

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