ケンタッキーフライドチキン誕生秘話!カーネル・サンダースの波乱万丈人生と成功の物語

  • 投稿日:
  • 最終更新日:2018年10月16日
  • yasu
ケンタッキー

日本でもフライドチキンといえばケンタッキー!!と誰もが口を揃えて答えるのではないでしょうか。最早ケンタッキーはフライドチキンの総称と言っても過言ではありません!!

ケンタッキーフライドチキンの店頭には、必ず創業者カーネルの等身大の立像が飾られています。
カーネル人形はとても人気が高く、子供から大人まで老若男女問わず知らない人はいない、そしてカーネル人形が誘拐された!!なんてニュースもしばしば耳にします。

クリスマスの時期になるとケンタッキーは長蛇の列となり、事前予約なしではクリスマス当日は買えないほど大人気ですよね。

ケンタッキーは誰もが知っているけれど、創業者のカーネル・サンダースについては意外とよく知らない人も多いのではないでしょうか。
大好きなケンタッキーを世の中に広めた人物だからこそ知っておきたいことが実にたくさんあり、カーネルサンダースという人物はエピソードの宝庫なのです。

カーネル・サンダースを知ることで、苦難を乗り越え成功に至った、信念の持つ力をも感じられると思います。

どうぞお付き合い下さい!!

ケンタッキー創業者・カーネル・サンダースとは

ケンタッキー誕生秘話

カーネル(本名:ハーランド・デーヴィッド・サンダース)は西部開拓時代の終結を迎えた1890年のアメリカ・インディアナ州で産まれました。

農場労働者、軍のトラック係、機関士、鉄道員、弁護士、保険外交員、フェリーボートサービス、タイヤのセールス、見習い産科医、政治家候補(落選)、モーテル経営、ガソリンスタンド経営etc.40種類にも及ぶ仕事を経験した後、フライドチキンで成功を納めるのです!!

1980年90歳で亡くなるまで、ケンタッキーフライドチキンの顔として活躍し続け、日本でも顔がわからないなんて人がいないほど世界的な知名度を誇るおじいちゃんです。

若き日のカーネル・何をやっても失敗続きで仕事を転々!!

若き日のカーネルの性格は、とにかく短気で超毒舌!しかもケンカっ早いとくる、はっきり言って話したくない!
それどころか関わることさえイヤだ!!そんな人物でした。

とても短気な性格が災いして、ケンカが原因でクビになったことは数知れず。

1915年のアーカンソー州弁護士時代には、「自分の依頼主と法廷内で、しかも裁判官の目の前で、殴り合った」というエピソードまであるくらいのケンカっ早い男でした。
あの優しいそうな人形カーネルからは想像もつきませんね。

もちろんその殴り合いが原因となりカーネルは逮捕され、その後は弁護士活動禁止となりました。(当時は弁護士資格がなくても法廷に立てたのです。)

それにしてもこれだけの転職を繰り返して、クビになってもへこたれずに次へと進もうとするカーネル、凡人にはまるで出来そうにない、すごいエネルギーとバイタリティーですよね。

カーネルの人生が動き出す!「サンダース・カフェ」!!

1930年から始めたガソリンスタンドの一角にレストランコーナーに「サンダース・カフェ」を設置した頃から、カーネルの人生は動き始めます。

「最高のサービスをする者が、最大の利益を得る」をスローガンとし、「州の料理への貢献」が認められて、1935年カーネルはケンタッキー州から「カーネル」という名誉ある称号をもらう事になるのです。

これが「カーネル・サンダース」という名称の由来になりました。

1937年にはモーテルを併設した142席のレストランにまで成長します。
1939年には店舗が火災に見舞われる災難もありましたが、1941年にはケンタッキー州の田舎町であるコービンに147人収容のレストランを再建します。

そして「サンダース・カフェ」の目玉商品がフライドチキンだったのです。
カーネルは調理から給仕まで一切をひとりでこなしていました。
料理は「フライドチキン」や「ハム」「豆」を使ったシンプルなもの。

しかし味にはこだわり丁寧に作っていたこともあり、大きな評判を呼んだのです。
そしてガソリンスタンドを手放し、カフェ業に専念することになりました。

災難があったにせよ、いままでの不遇を帳消しにしてしまうほどの充実期ですよね。
カーネルはいよいよケンタッキーフライドチキン創業への道筋を作っていくのでしょうか?

ケンタッキーフライドチキンへの足掛かり!一転窮地に!!

1941年に再建した「サンダース・カフェ」での大人気メニューがフライドチキンです。
カーネルは圧力方式のフライドチキン作りをスタートさせます。
この方式は調理過程を短縮するもので後に特許を取得するほど優れていました。

そしてカーネルの経営基本コンセプトは次の3つでした。

  • Quality/質
  • Service/サービス
  • Clean/清潔さ

この3つの頭文字をとった「Q・S・C」はいまもファーストフード業界に従事する人の基本理念になっているほどの大切なものなのです。

しかし環境というものは残酷です、上手くいっていたカーネルでしたが、やがて建設中のハイウェイによってカーネルの店から、20年以上にも渡って築き上げた車の流れが完全に遠のいてしまったのです。
1956年、カーネルは事業をオークションにかけ75,000ドル(約800万円)で売却しました。カーネルによると代金は税金と未払い手形の支払いに充てられたと言います。

年金生活を考えますが、月額105ドルしかもらえないことが分かり、考えなおすことにしたのです。 この時カーネルは65歳でした。
ほぼ無一文となったカーネルは窮地へと追い込まれていきました。

カーネル・サンダースのフランチャイズ計画始動!!

ケンタッキーフランチャイズ化スタート"

カーネルは考え抜いた末にフランチャイズの仕組みを思いつきます。

代理店となったレストランに、カーネル独自製法のフライドチキンを置いてもらう。
そしてチキンが1ピース売れるごとに、5セントをもらうという仕組みです。

ただし秘伝のスパイスの製法だけは、秘密を守るという意味で自らが調合したものを代理店に渡すという方式を採ろうとしたのです。

そしてカーネルはもうひとつのポイントも考えていました。

ピート・ハーマンに直談判!

数多くのレストランを経営していたピート・ハーマンへの売り込みです。
フライドチキン自体はアメリカのソウルフードであり、特に珍しい食べ物ではありませんでした。だからこそこだわりのチキンをピート・ハーマン本人に食べてもらわなくてはならないのです。

ピートの自宅に押しかけて調理させてもらうことを申し出ます。
そしてピートはカーネルのフライドチキンの味を一口で気に入ったのです!!
「ケンタッキーフライドチキンという名称にしよう」ピート・ハーマンが、フランチャイズ契約の第一号となりました。

カーネル、失礼ながら65歳を超えた年齢ですごいバイタリティーですよね。筆者も書きながら調べながら驚いています。

※ピート・ハーマン:ユタ州サウス・ソルトレイク市内で最大規模のレストラン経営者。

カーネル70歳!飛び込み営業開始!!

カーネルはフランチャイズを成功させるため、なけなしの年金でガソリンを買い、自らの運転する車で全米各地を飛び込み営業の旅に出ました。

レストランの厨房などを使わせてもらいフライドチキンのノウハウを実演し、フランチャイズ契約を取るため頑張りました。

しかし現実は甘くできてはいません。70歳近いおじいさんの飛び込み営業がスムーズにいくはずもなく、カーネルは1009回もの「NO!!」をもらってしまうのです。

それでもカーネルは諦めたり音を上げたりはしませんでした。
地道に営業活動をしていくうちに少しずつ契約が取れるようになり、フランチャイズ契約店舗数は200に達しました。

そして3年後の73歳時には600店舗を超えるフランチャイズ化を成し遂げ、米国最大のフランチャイズチェーンとなっていったのです。

日本進出はマクドナルドより早かったケンタッキー!!

1970年11月21日、ケンタッキーフライドチキン日本1号店が名古屋市のダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンター内に誕生しました。

対して日本マクドナルドは1971年7月20日、1号店である銀座店を銀座三越店内にオープンします。ケンタッキーの方が少し早く日本でオープンしていたのですね。

ケンタッキーはすぐに人気店となり、その後はクリスマスに家族でケンタッキーフライドチキンを食べる習慣も生まれるなど、国民的な食べ物となっていきました。

少し豆知識になりますが、1974年6月から東京東伏見稲荷神社・大阪住吉神社でケンタッキー関係者を集めニワトリへの感謝とともに供養を行う「チキン感謝祭」というものを実施しています。

日本大好きカーネル・サンダース!!

ケンタッキーフライドチキン生みの親である、カーネルは日本が大好きで3回来日しています。

さまざまな慈善活動を行いながら、積極的に店舗を回ったカーネルは、「日本のケンタッキーが一番気に入っている」と言うのです。

「私の考えていた通りの作り方を守って、理想を受け継いでくれている」よくそう言ってくれていました。
オリジナルチキン生みの親が太鼓判を押した日本のケンタッキー。カーネルの厚い信頼に応えているからこそ今尚その人気が続いているのでしょうね。

信念の人・カーネルサンダース

カーネルサンダースは信念の人

それにしてもすごい信念を持った人ですよね、カーネルという人は。「できることはやる」「最善を尽くす」「粘り強く行う」etc.

カーネルを掻き立てていたもの、それは譲ることのできない自分自身の信念でした。

いまの時代であっても当たり前のように聞こえる言葉ですが、自分の信念や想いの強さを持ち続け、実現することは本当に難しいものだと誰もが知っているからこそ、カーネルの生き方が胸に響くのです。

カーネルはアメリカンドリームの時代を全力疾走した男!!

カーネルサンダース

アメリカ人のチャレンジ精神を支えているものは何でしょうね。
ひとつにはアメリカ人特有の楽天的な性格もあるのかも知れませんね。

能力の差はあってもチャンスは平等に与えられている、そんな信用がアメリカ人特有の「楽天主義」になっているのかも!?と思ったりします。
努力する事と人に尽くす気持ち、このふたつの想いを持ち続けられたのがカーネルだったのだと思うのです。

カーネルの名言です。
私はけっして特別な才能を持っていたわけでも、運に恵まれていたわけでもない。
私がしてきたことは毎日毎日、目の前にある自分に与えられた役目、人を喜ばせることや人を勇気づけることに全力で取り組み、精一杯生きてきただけだ。」

カーネルだからこそ語れる、真摯かつ実に深い言葉ですね。

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