世界で初めてダイヤモンドの婚約指輪をもらった女性は誰?

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  • 最終更新日:2020年06月22日
  • ogawa

「婚約指輪は給料の3ヶ月分」というフレーズ、実は映画館CMから発信されたものなのです。

仕掛けたのは、ダイヤモンド・ジュエリーの超有名企業「デビアス」。

1980年代の初頭から2001年までこのフレーズのCMを上映し続けたといいます。

そのおかげで、「ダイヤモンドの婚約指輪」が一般的な常識となりました。

では、人類史上初めてダイヤモンドの婚約指輪をもらった女性は誰かご存じでしょうか。

今回は、魅力的なその女性を紹介したいと思います。

華やかな宮廷に生まれ、戦争をくぐり抜け、政治を行った美しき姫君です。

経済先進国・ブルゴーニュ公国

現在のフランスの北東部、ブルゴーニュ地方。この地方は、おいしいワインで有名ですね。

15世紀、ブルゴーニュ公国という独立国がありました。

北はオランダ・ベルギーを含み、東はドイツ(神聖ローマ帝国)に国境を接する広大な領土を持っていたのです。

公国は、毛織物貿易で莫大な富を築いていました。

当時の君主で、善良公(ル・ボン)と呼ばれたフィリップは、豪華なステンドグラスや宝石に飾られた城で、公国を統治していたのです。

フィリップの孫にあたるのが、今回紹介するマリー・ド・ブルゴーニュ姫(1457~1482年)です。

「美しき姫君」

マリーは、1457年にブリュッセルで生まれました。

美しさと優しさで、領民たちから「美しき姫君」「我らの姫」と呼ばれ親しまれていました。

華やかなブルージュの宮廷で、当時のヨーロッパの最先端の教養を身につけ、乗馬やスケートなどを楽しむ、朗らかで元気いっぱいのプリンセスでした。

1477年、事件が起こります。

マリーの父・シャルルは、その勇猛さから、突進公(テメレール)とあだ名されていました。

シャルル突進公が、領土拡張を企て、あだ名の通り突進し「ナンシーの戦い」で戦死したのです。

父の跡を継ぎ、ブルゴーニュ公国の君主となったマリーは窮地に立たされます。

この機に乗じた、フランス国王ルイ11世が、ブルゴーニュ公国に攻めてきて、あっという間に公国の半分を占領したのです。

「蜘蛛男」ルイ11世

ルイ11世は「蜘蛛」と呼ばれるほど狡猾でした。

自分の息子(8歳)と、マリー(20歳)を無理やり結婚させて、ブルゴーニュ全体をフランスの領土にしてしまおうと目論んだのです。

さらにルイ11世は、反乱を起こすように、貴族たちを焚きつけました。

マリーは、反乱軍に幽閉され、孤立無援になってしまったのです。

一発逆転を図ったマリーは、婚約者に助けを求める手紙を送ります。

亡き父、シャルル突進公が生前に決めた婚約者、神聖ローマ帝国・ハプスブルク家のマクシミリアン王子(1459~1519)です。

白馬の王子現る

ハプスブルク家といえば、世界史では名の知れた名家中の名家ですが、当時は華やかな西ヨーロッパから遠く離れた「ド」田舎の弱小王家でした。

さらに「ド」貧乏な王家でした。

権力も覇気も財力も無いとされた王家だからこそ、「神聖ローマ帝国の皇帝」に選ばれたのでした。

マクシミリアン王子は、マリーの救援要請に応えて、すぐに軍勢を率いて旅立ちます。

しかし、あまりに貧乏だったため、進軍中、途中でお金が尽き、借金しなければならなかったと伝わります。

やがて、ブルゴーニュの宮廷に、金髪をなびかせ、白馬に乗った「本物の」王子様が現れました。

それはおとぎ話のような光景でした。

フランス軍撃退!!

弱小王家の息子であるマクシミリアンでしたが、彼は顔立ちは凛々しく、武芸にも優れていました。

「中世最後の騎士」と謳われるほどの「デキる男」でした。

政略結婚ではありましたが、マリーとマクシミリアンは、初対面で恋に落ちます。

そしてマクシミリアンが結婚の印にマリーに渡したのが、ダイヤモンドの婚約指輪だったのです。

それは金でできた、マクシミリアンとマリー、聖母マリアの頭文字”M”をダイヤモンドでかたどった指輪でした。

それが、史料に残る世界最初のダイヤモンドの婚約指輪となったのです。

二人はゲントの聖バーフ教会で結婚し、マクシミリアンがフランス軍を撃退しました。

余談ですが、これ以後、ハプスブルク家とフランス王家との対立は、後にマリー・アントワネットがフランス王家に嫁いで同盟が成るまで、約300年間続くことになります。

美男美女のお似合いカップル

結婚したマリーとマクシミリアンは、この上なく仲睦まじい夫婦だったということです。

共に馬に乗って領内を巡り、善政を行いました。

しかし、結婚の5年後に、夫の狩猟についていこうとしたマリーが落馬し、帰らぬ人となりました。

その37年後、マクシミリアンは、「陽が沈まない」広大なハプスブルク帝国のもとを築きあげ、ウィーン近郊で亡くなりました。

彼は自分の心臓をブルージュのマリーの墓に収めてほしいと遺言しました。

そういうわけで、二人は今も一緒だということです。

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いにしえの都、ブルージュにて

私がブルゴーニュ公国の首都だったブルージュを訪れたのは、春まだ浅い時期でした。

整然とした並木道や、透き通った水面の運河が、往時の宮廷の美しさを物語っているように思えました。

私は、とるものもとりあえず、聖母教会に向かいました。

そこには、マリーとその父・シャルル突進公が眠る墓所があるのです。

マリーの棺は、父の棺と並んで教会の奥にあり、棺の上にはそれぞれ生前の彼らを写した金の彫像が横たわっていました。

華やかで幸せだったマリーの結婚生活を表すかのように、マリーの彫像は、王冠を被り、豪奢なドレス姿でした。

ここが、死後なおマクシミリアンの還りたかった場所…と思い合掌しました。

まとめ

二人の婚約指輪は、今、ウィーンの王宮宝物館に展示されています。

やはり、「人類史上初・ダイヤモンドの婚約指輪のもらい手」は、美女で、そのストーリーはドラマチックで、しかもラブラブでした。

期待を裏切らない結末に、ほっこりした気持ちになりました。

マリー姫の「子孫」である、現代の数多の「ダイヤモンドの婚約指輪のもらい手」を祝福したいと思います。

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