松方コレクション展が上野で開催中!ゴッホ・モネ、流転の名画が里帰り!!

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  • 最終更新日:2019年07月19日
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松方コレクション展

2019年9月23日(月・祝)まで、東京・上野の国立西洋美術館で、超有名絵画の展覧会が開かれています。「松方コレクション展」です。数奇な運命をたどった名画たちに出逢えます。今回は、流転の作品群を、歴史(来歴)や解説と共にご紹介しましょう!!

松方コレクションとは

松方コレクション展 上野

松方コレクションは、明治時代~昭和初期に生きた実業家、松方幸次郎が買い求めた美術コレクションで、ゴッホ、ルノワール、モネ、ピサロ、マネ等(主に印象派)、世界に名だたる巨匠の作品が収集されました。松方コレクションを収蔵するために、1959年、国立西洋美術館が開館したのです。

以来、松方コレクションの375点は、国立西洋美術館で常設展示され、私達を楽しませてきましたが、実は、松方コレクションはそれがすべてではなかったのです。

「元祖」松方コレクション大集合!!

松方コレクション展 上野

実は、かつて松方が収集した作品群は一万点あったといわれます。しかし、明治~昭和期の経済や戦争の混乱の中で作品群が世界中に散逸してしまいました。

今回の展覧会「松方コレクション展」では、世界中に散らばった作品も加わった形で展示がされているのです。つまり、これまで国立西洋美術館にあった作品と、日本に里帰りした作品とを同時に見られるという企画です。

「元祖」松方コレクションが、世界中からこれだけの点数(155点)一同に会するのは、もしかしたらこれが最後かもしれません。今回の展覧会には、長らく行方不明となっていたモネの「幻の睡蓮」の修復展示などもあります。数奇な運命をたどった名画の数々をぜひご覧ください!!

流転の作品群

松方コレクション展 上野

松方幸次郎は、明治時代の首相松方正義の三男として1866年に生まれました。1884年にアメリカに渡り、現地の大学で民法の博士号を取得後、ヨーロッパを周遊してから帰国しました。

1896年に神戸の川崎造船所(川崎重工業の前身)の初代社長に就任します。松方は、パリ等で一万点以上の美術品を購入しました。日本に美術館を設立したいと考えていたのです。

しかし、1927年の世界恐慌のため、川崎造船所が破綻し、松方のコレクションは次々と散逸します。

  1. 日本にあった作品群は売られて散逸
  2. ロンドンにあった約900点は1939年に火災で焼失
  3. パリに保管していた約400点は第二次世界大戦での日本の敗戦後、フランスに戦利品として没収

➂の約400点のうち、戦後フランスから返還された375点が、1959年に開館した国立西洋美術館にようやく収蔵されたのでした。

今回の展覧会では、➀の日本国内に散逸した作品の一部と、➂のうち、フランスに返還してもらえなかった作品も併せて展示されているのです。

「アルルの寝室(La chambre à Arles)」

アルルの寝室

この部屋は、ゴッホの「黄色い家(現存せず)」の内部を描いたものです。ブルーの壁、緑の窓枠、画面右にベッドが置いてあって、左にはテーブルと椅子が2つ。プロヴァンス地方によく見られる木のぬくもりのある部屋が描かれています。

制作者:フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)
制作年:1889年
大きさ:57.5cm×74cm
所蔵:オルセー美術館(フランス・パリ)

「アルルの寝室」は3点あった!!

実は、「アルルの寝室」は3点あります。松方コレクションのものは、「第3ヴァージョン」と呼ばれる1889年9月28日に描かれたものです。「アルルの寝室」は、「ひまわり」同様、元々ゴーギャンを歓迎するために描かれた作品なのですが、こちらの「第3ヴァージョン」は、先の2点と違って少し小さめのサイズ(57.5cm×74cm)で、母親と妹に送ったものでした。この「第3ヴァージョン」は、「第1ヴァージョン」と違い、壁に掛けられた肖像画が、ゴッホの自画像になっています。

歪んで見える部屋の謎

「この絵を見ていると、どうも部屋の内部が歪んで見える」と違和感を感じていらっしゃる人は多いのではないのでしょうか。私もそうでした。でも、その違和感は、実は正しかったのです。最近のテレビ番組の取材で、「黄色い家」の形が、台形だったという事がわかり、正確な遠近法で描かれているという事でした。遠近法の消失点は、窓となっています。

「アルルの寝室」来歴

なぜ、松方コレクションがオルセー美術館にあるのでしょう?実は第二次世界大戦中、「アルルの寝室」は、パリに保管されていた松方コレクション約400点の中に含まれていたのです。

それらはフランス政府に接収され、戦後、1951年のサンフランシスコ講和会議で、絵画の日本への返還が行なわれましたが、その時フランスは「アルルの寝室」を日本に返還してくれませんでした。1959年にはフランスの国有となり、現在はオルセー美術館にあるというわけです。今回、一時的に里帰りを果たしました。どうしてもフランス政府が返還したくなかった絵をぜひ見に行って下さい!!

「帽子の女(Femme au chapea)」

帽子の女

くつろいだ姿勢で椅子に掛ける女性を優しい筆致で描いています。女性の柔らかな表情が非常に美しく、見ている者の心を捉えて離さない絵です。少ない色数で、上品な画面を創り出しています。

制作者:ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)
制作年: 1891年
大きさ: 56cmx46.5cm
所蔵:国立西洋美術館(東京・上野)

上流階級の女性美溢れる1点

レースがあしらわれた優雅な白いドレス、そして白を基調とした青や黄色の帽子、顔にかかるチュール等が、女性の衣装の描写を得意としたルノワールらしい1点です。影の色も黒ではなく紫がかった青を使用することで、印象派のセオリー通りの画風です。さらに背景のカーテンの色が、帽子と同じ青と黄色なのも心憎い配色となっています。ルノワールファンならたまらない作品でしょう!!

「真珠色の時代」

印象派の代表ルノワールの画風も、長いその画業の中で少しずつ変わっています。1890年代前半に、アングル風の古典的な画風となりましたが、この作品が描かれた時代は、本来の繊細で柔らかい筆使いが甦りました。「真珠色の時代」と呼ばれています。このモデルのポーズが自然で力みが無く、上流社会の豊かさと清潔感が溢れ、顔と手は透き通るような白さで、様々な色彩が白と混ざって、まさに真珠の輝きに満ちています。

「帽子の女」来歴

1921年12月、パリの画商デュラン=リュエルより松方が購入した作品と思われます。この作品は、パリのリュクサンブール美術館の館長レオンス・べネディットに預けられ、彼が館長を兼任したロダン美術館に保管されました。

1944年、フランス政府に接収されましたが、1951年のサンフランシスコ講和会議により、1959年、フランス政府が日本に返還しました。おかげで、私達は日本の国立西洋美術館でこの作品を見る事ができるというわけです。

「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)(Parisiennes habillées en algériennes」

アルジェリア風のパリの女たち

3人の女性が座っています。左の女性は全裸で、衣服らしき布を持っているだけです。中央の女性も身に纏った衣服は透けています。右の女性も、露出は控えめですが、やはり衣装が透けています。

制作者:ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)
制作年:1872年
大きさ:156cmx128.8cm
所蔵:国立西洋美術館(東京・上野)

オリエンタル趣味

1870年代のルノワールは、ドラクロワの絵に心酔します。この絵はドラクロワの「アルジェの女たち(Femmes d’Alger dans leur appartement)」(1834年)へのオマージュとして描かれました。当時、ヨーロッパでは、エキゾチックでエロチックなアラブ趣味が流行っていて、このルノワールが描いた女たちも、オリエンタル趣味満載の絵画になっています。ドラクロワの作品よりもっとエロチックになっているのがおわかりかと思います。

色彩の豊かさ

豊かな金髪(ドラクロワ版は全員黒髪)等に、ルノワールらしい明るい色彩がうかがわれます。ベージュ、ブラウン系の画面に、所々赤が効果的に使用されています。カーペット、アクセサリー、靴やベスト、サッシュ等です。また、肌色の輝きも美しく、ルノワール初期の作品ながら、すでにその天才ぶりの片鱗を見せています。

奥行きのある構図も見事で、ある意味、ドラクロワ版を超えていると言っていいでしょう。

「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」来歴

この作品は希代の傑作なので、ぜひ購入するよう、同行していた美術史家の矢代幸雄は松方に熱心に勧めたといいます。矢代があまりしつこく勧めるので、松方は買わずに店を出てしまったのですが、しばらくしてから松方の所を訪れると、「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」が買ってあったといます。

この作品も、「帽子の女」同様1921年12月、パリの画商デュラン=リュエルより松方が購入した作品です。第二次世界大戦中、フランスにありました。1951年のサンフランシスコ講和会議で、1959年フランス政府が日本に返還し、国立西洋美術館に収蔵されました。

 

「あひるの子(Ducklings)」

あひるの子

森の中でしょうか、薄緑色のドレスにピンクのサッシュを付けた少女が正面を向いて立っています。とにかく少女の表情が可愛らしいです!!足元にはあひるやヒヨコ達が泳いでいます。

制作者:ジョン・エヴァリット・ミレイ(1829年~1896年)
制作年:1889年
大きさ:121.7cmx76cm
所蔵:国立西洋美術館(東京・上野)

可愛らしいあひるの子

アンデルセン童話の「醜いあひるの子」の物語の寓意となっている絵画です。何の変哲もない少女が、やがて将来、美しい白鳥のような女性になるでしょう、という意味が込められていると思われます。この作品では、ドレスの襞や、腕の表情などに、繊細な描写が見られます。

「ラファエル前派」の天才

王立アカデミー付属美術学校の在校生たちが結成した「ラファエル前派」は、「ルネサンスの画家ラファエロ・サンティ以前の画風に学ぼう」と、ありのままの自然を正確に描写しようとした一派でした。その中でも、ミレイは、史上最年少の11歳で王立アカデミー付属美術学校に入学を許された天才でした。1885年に、英国の画家としては史上初となる准男爵位を受け、名実ともにイギリスを代表する大画家となります。

「あひるの子」来歴

松方は、画家のフランク・ブラングィンをアドバイザーとして雇い、次々と作品を購入していきました。この「あひるの子」は、ロンドンの、N.ミッチェル ファイン・アート・ギャラリーで松方が購入しました。

この作品は、松方コレクションが散逸した後に、様々な人の手を経て、アメリカのコレクターから日本へと渡りました。そして、昭和初期~平成初期の美術商で、フランス近代美術を日本に紹介し、フランス芸術文化勲章最高位のコマンドゥール章を受章した水嶋徳蔵によって、1975年に、国立西洋美術館に寄贈されました。

「積みわら(Meules)」

積みわら

「積みわら」とは、収穫後の畑に積まれた干し草の山の事です。青い空に白い雲、緑の木々・・・色彩画家のモネの傑作です。奥と手前に、積みわらが置いてあります。奥の積みわらには光が当たっているので明るく、手前の方は暗い色彩になっています。

制作者:クロード・モネ(1840年~1926年)
制作年:1885年
大きさ:65.2cm×81.5cm
所蔵:大原美術館(岡山・倉敷)

光と色彩

モネは、1883年にジヴェルニーに住まいを移し、それ以来、自宅から3㎞以内の風景を多く描きました。「積みわら」も自宅のそばの情景を描いています。光が物におよぼす色彩の変化を追い続けたモネは、時間ごとに変化する色彩を描く事を信条としました。時間ごとにキャンバスを取り替えながら制作したという事です。

モデルは

モネは、こうして「積みわら」の連作を、1885年~1888年に45点以上描き続けました。それらは、現在、オルセー美術館、ボストン美術館、シカゴ美術館など、世界中に展示されています。その1点が日本の大原美術館にあるというわけです。この「積みわら」は、モネが1885年に描いた「積みわら」の3点のうちの1点です。

手前の積みわらには、母子らしき二人が寄りかかっています。モネの後妻であるアリス・オシュデと息子ミシェル・モネと推定されています。

「積みわら」来歴

「積みわら」は、現在大原美術館にあります。

この作品は、パリで松方が購入した作品の一つと思われます。 松方はパリの一流画廊で壁にかかっている絵を、「あの絵をくれ」と言いながら一度に10点~20点ほどをステッキで指し、絵を買い集めていたといわれています。

この「積みわら」は、日本にあったとみられますが、松方が社長をしていた川崎造船所が破綻した際、松方の手を離れ、愛好家の間を転々とした後、1978年に大原美術館へ収蔵されました。

「睡蓮、柳の反映(Reflets d’un saule)」

睡蓮、柳の反映

モネは、自宅のジヴェルニーに庭園を造り、「睡蓮」の連作を制作しました。この絵は、青い池の水面に、濃い緑の睡蓮の葉、ピンク色の花が浮かんでいます。そして、濃い緑の柳の葉が水面に映っています。この作品は、最近(2016年)発見されました。

制作者:クロード・モネ(1840年~1926年)
制作年:1916年
大きさ:199.3cm×424.2cm
所蔵:国立西洋美術館(東京・上野)

絵画修復・大プロジェクト

モネは1916年~1919年に、柳が水面に映っている構図の作品を6点描いています。これはその内の1点と思われます。発見時には上半分が失われていていました。作品の全体像は、破損前に撮影された白黒写真から想像するしかありませんでした。日本に届いた時は黒ずんでいて、カビも見られたという事です。国立西洋美術館では、この大画面のミクロン単位の修復作業を、通常2~3年かかるところ、約1年で完成させ、今回のお披露目となりました。

国立美術館のクラウドファンディング

この作品の修復に伴い、デジタルでの推定復元の作品も制作されました。復元にあたっては、北九州市立美術館や地中美術館、マルモッタン・モネ美術館などが収蔵している、描いた時期やモチーフが近い作品を中心にモネの作品の調査を実施。AI技術によって絵の具を特定し、失われた部分を同様の絵の具で復元したといいます。なお、この復元費用には、クラウドファンディングが用いられました。美術界では珍しい事です。推定復元の完成作品は、会場の入口に展示してあります。

「睡蓮、柳の反映」来歴

「睡蓮、柳の反映」は、1921年に松方がモネから直接譲り受けた内の1点と思われます。長らく行方不明になっていて、「幻の睡蓮」と呼ばれてきました。

松方がパリに保管していた「睡蓮、柳の反映」は、ドイツ軍の爆撃や略奪から避けるために、元大日本帝国海軍大尉の日置釭三郎らによってパリから西方約80kmの村アボンダンに避難されました。しかし、その場所はあまりにも湿気が多く、作品の損傷が酷く、戦後、ルーヴル美術館の収蔵庫に収められ、来歴不明作品として、忘れられました。

2016年9月、フランスの美術館関係者がルーヴル美術館内でこの作品を発見し、調査を行なったところ、松方コレクションであることが判明し、松方家に返還されました。そして、2017年11月に松方家から国立西洋美術館に寄贈されました。

まとめ

「松方コレクション展」の代表作についてみてきました。

松方幸次郎は、国立西洋美術館の開館を見ることなく、1950年に死去しました。彼は生前、常々「素晴らしい絵を日本の貧しい画学生に見せたいのです」こう言っていたとされています。

今は亡き松方の願いがかなった、この、最後かもしれない機会に、数奇な運命をたどった名画たちを、見に行ってみてはいかがでしょうか。

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